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悪ものが美しいのは舞台だから

ちょっと前だけど、8月の納涼大歌舞伎のはなし。悪い七之助が大好きなので、楽しみにしていた、盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)。チケットを完全に取り忘れていたから、久しぶりに外国人観光客に混じって幕見に行った。大学時代とか、まだぴよぴよOLだった二十代の頃は、そんなにお金もないし、もっぱら幕見ばかりだった。天井桟敷そのものの高さは、まるで芝居の神様の目線のようで楽しい。なんだか久しぶりにワクワクして、芝居小屋にきた!という気持ちになる。
で、お芝居は、というと七之助さんの役どころは、悪者というよりは流され系というか、情に厚いというところもあり。幸四郎さんが、どんどんと人を殺していくあたりが見どころだった。悪の華の美しさとカタルシス。
でも、そりゃないよ、ひどい!って思わず目をふさぐところもあり、納涼を意識した演目らしく、ひやひやした気持ちに浸りました。
陰惨な話にどこか引き込まれてしまうのは、やっぱり人間の本質にどこか怖いもの見たさや昏い部分はあって、でも自分は明るくすこやかでいたいから、物語として必要なんだろうな。
そして何百年も前に書かれたにも関わらず、罪と欲の快楽を目で刺激しまくってドキドキさせる鶴屋南北って何なの!?すごい、という気持ちに。人情話もよいけれど、たまには歌舞伎らしい、こんなぶっ飛んだ演目もよいと思いました。文楽はご無沙汰ぎみだけど、久しぶりに江戸にどっぷりトリップしたくなるし、やっぱり歌舞伎と両方見るのもよいな、とも思う、夏でした。 #歌舞伎 #中村七之助

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