20年経ってわかったこと
去年の夏に日本へ一時帰国したときに、気持ちがざわざわする出来事があった。
短大卒業から渡米するまで働いていたホテル時代の仲間数名で集まった。今まで帰国の際に会ってきたホテル時代の仲間は、仲良くしてもらっていた同僚の女子グループだったり、同期のグループだったりなのだが、今回は珍しい顔合わせになった。当時の職場の先輩二人、上司、同期、アルバイトだったN君と私を入れて6人。しかも同期のAちゃん以外は私は渡米してから20年以上一度も会ったことがないというメンツ。
私の一時帰国中の詰まったスケジュールで日時とエリアが限定されてしまい、いつも会いたいと思って声をかける仲間たちからことごとく「都合がつかない」と断られた結果、せっかくだから先輩などにも声かけてみようというAちゃんの計らいでこのような珍しいメンバーになった。このときのAちゃんとのやりとりで私の心は少しざわついた。こういうときに私が一番お世話になった先輩として必ず名前が上がるSさんのせいだ。Sさんは先輩の一人なのだが、半年ほど付き合ったいわゆる元カレというやつでもある。ただ、付き合っていたときも別れてからも周りにはそのようなことは一切言えなかった(と思っていた)ので私とSさんの関係はあくまでも先輩と後輩ということになっていた。それが当時の私にはとてつもない苦痛になっていたのだ。
今考えてみると苦痛の原因は先輩後輩としての建て前と恋人同士としての側面が相いれない現実、だったのかと思う。付き合っているときはそれでも仕方ないと思っていた。職場ではきっちり先輩後輩の演技(?)をやって、プライベートで会うときは恋人同士といった風に区別をつけていた。ただ、別れてからその区別があいまいになった。私は恋人としての関係がおわったとき、職場では元カレ元カノといった気配を限りなくゼロに近くまで打ち消して仕事をしていくのが礼儀だと思った。だって他人事として想像してみたって鳥肌が立つくらい気まずい、別れた元カレと職場で毎日顔合わせなきゃならないなんて。
ただ、そう思っていたのは私だけでSさんはそのような厳格な区別がなく、未練たらしい言動を所々に見せた。別れると決めたのはSさんなのに。社会人としてしっかり仕事をしていかなければならない。社内で付き合った人と別れたくらいで(しかもたった数か月)正社員で採用してもらった会社を辞めるなんて絶対にダメだと思っていた当時の私にとって、Sさんの未練たらしい言動と表向きは先輩後輩という建て前と、誰にも言えない秘密の過去といった状況がこの上ない苦痛になっていった。例えば、誰も見ていない二人になった空間で何気なく肩や髪に手を振れてきたり、思わせぶりなことを言ってみたり。かと思うと「今までは特別に可愛がってやったが、それももう終わりだ!」と言わんばかりに先輩風を吹かせて暴言を吐いてみたり。毎日気持ちが大きく揺れ動き心身ともに疲弊していく中で、Sさんと距離を置きたくてもそれもできず、怒りや悲しみで心が搔きまわされるたびに私はSさんを嫌いになっていった。
そのような理由で私はSさんを先輩として失礼のないよう仕事の対応はするが、仕事以外の仲間を交えての誘いは一切断り、たわいのない談笑にも応じなくなった。私の態度が固くなっていく中で、Sさんも私に嫌われているのは分かっていたと思う。私と付き合う気はないが嫌われたくもないというめんどくさいのが男心なのだろうか。固い態度の若い後輩に対してヘラヘラする先輩兼上司という構図が出来上がった。私のSさんを軽蔑する気持ちが膨らんでいった。私が当時の人生どん底の苦痛の中で渡米の夢に向かって突っ走る決心をしたのもある意味Sさんから解放されたい気持ちが後押ししてくれたようなものだ。
それから20年が経ち上司先輩と集まる調整をしていたとき、AちゃんからSさんにも声をかけようか?と聞かれて心がざわついたのだが、20年前のことで「Sさんは呼ばないで」などというのも不自然な気がした。それにさすがにもうそんなわだかまりも手放してもいいではないかと思い「そうだね」と返した。人づてにSさんはその日は予定があってどうしても参加できない、モコにはよろしく伝えて欲しいというような返答があった。だから、私がSさんに声をかけると選択したのに対してSさんが参加しないという結論を出してくれたのでちょっとホッとした。私はわだかまっていないぞ、と思った。
ところが、当日待ち合わせのお店に少し遅れて行ってみるとSさんがいるではないか。地下街の小さなお店で私たちのテーブルは入口を入って目の前だった。上司や先輩、同期のAちゃん全員年を重ねているようで変わっていない。20年会っていないとは思えないほど、変わらない笑顔だ。Sさんは目を細めてニコニコ笑っていた。20代の頃のとがった印象に比べると体格は当時よりほっそりし、やや目じりが下がって優しいまなざしになった気がする。気のせいかもしれないが、ときどきSさんが私の顔を見つめている視線を感じた。当時特に仲良しだったというわけでもないメンツなのに、懐かしいというだけで皆の気持ちが高揚してしている。当時課長だった上司はもうすぐ80歳だというのに、20年前と本当に何も変わっていなくて、元気そのもの。いろいろな懐かしい話で終始盛り上がり、あっという間にお開きの時間になった。
お店の外に出て、しばらく皆で記念写真を撮ったりまたお会いしましょうと挨拶したりしていたら、Sさんからも私に挨拶してくれた。何を言われたかは覚えていないが握手を求められたので握手した。どういう意図かわからないがなにか過去のことはすべて忘れてこれで俺たちはもう大丈夫だよねって言われているような、過去の幕を閉じられるような気もした。
アメリカに帰って来てから、このときの再会のことがずっと胸の中に残っていてなにかすっきりしなかった。過去のわだかまりを手放して一歩前進したつもりでいたのにすっきりしない。ああやって再会して、私とSさんは普通に20年前に一緒の職場で時間を過ごした仲間として収まったようで、同時に私とSさんが一時お互いを好き合って、体を重ねて付き合ったという事実は葬りさられた気がした。Sさんと私が私たち二人のこと話すことはもう一生ないのだ。まるで私たちが付き合ったことをなかったことするように、その事実は葬り去られた。
しばらくそんな想いを抱えて過ごしていて、あるときふと思った。
ああ、だから私はSさんと一緒にならなかったんだ。
Sさんは私と付き合ったこと、私と関係を結んだことを言えない男だった。どんな理由であれ私と付き合っていること、付き合ったことを大っぴらにできない人間と結ばれないで本当に良かった。私が20年前に振られてから会社を退職したあともずっとSさんを毛嫌いしてきたのはこのことが原因だ。私は恋愛に限らず関係やつながりを大事だと思っている。とくに1対1の関係には自分の全部を注ぎ入れる。真摯に向かい合いたい。その関係が終わったとしてもその関係のあった事実は今の自分の一部であることに敬意をもち携えて生きていく。どのような理由があれど、私と特別な関係を結んだその過去をうやむやに葬り去った。だからSさんは私にはふさわしくないのだ。そう思ったとき、私はもう大丈夫だと思った。やっと気持ちの整理がついた。20年経ってやっと。
20年前から今まで、たぶんSさんにはSさんなりの気持ちや理由や考えがあってそれぞれに時間は流れた。当時から今までのSさんの事情や意図も内面にあるものも私が知ることはない。私は私で20年前にアメリカへ来て、色々な出会いや経験をしながら懸命に生きてきた。ずっとSさんの記憶は残っていて嫌な気持ちが心の奥でくすぶっていたのだが、去年の再会という大きな出来事を経て自分が何に腹を立てていたのかようやく理解した。ただ時間が解決してくれたとも言えるが、ここまで生きてきて今の視点で振り返ってみてようやく何がずっと引っかかっていたのかわかったのだ。それは怒るよね。自分と関係を築いたことを人に言えないなんて。だからしっかり別の道を歩んで20年という時間を経て去年再会することになったのは良いタイミングだったのだ。今私はちゃんと家族がいてアメリカで幸せにやっていて本当に良かった。
20年振りの再会で心がザワザワしたが、これで気持ちの整理が着いた。私はSさんとの過去を葬り去ったりしない。それは今の私を作った大切な一部だから。それでいいのだ。
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