人の後悔から学ぶ
最悪の後悔というのはきっと死ぬ時の後悔だ。
"死の間際に人は何を悔やむのか?"
そんなことを考えていた時、手に取ったのが
「1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた死ぬときに後悔すること25」大津秀一 著
という本だった。
この本は、6つの章に分けて
人が死の間際にどんなことを後悔するのか
ストーリーを交えて25個の後悔を紹介してくれている。
その中で特に印象に残った「後悔」について
思うところがあったので一部書き出してみた。
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①悪事
たとえ死の間際に思い出すようなレベルの罪
でなくとも、
自覚のある罪は喉に引っかかった小骨みたいに
心の中に留まり続ける。
墓場まで持っていく、というのは
そう簡単なことではないと思う。
表に出すことのできない罪の意識と後悔は
じわじわと心を蝕んでいくような気がする。
そんな想いを抱えて生きていくくらいなら、
胸が抉れるような苦しい時間があったとしても
そのあとの人生を真っ当に生きようと思えるように
覚悟を決めその荷を下ろすことを考えた方がいいのだろうと思う。
少なくとも、もし自分がそのような状況に陥ってしまったとしたらこの気持ちを忘れないようにしたい。
②いつまでも「今」は続かない
年を重ねるごとに、この言葉が現実のものとして
身に染みてくる感覚がある。
当たり前みたいに存在しているものほど
当たり前じゃないと思うことが増えた。
人間関係においても、
気づいた時にはもう遅いという類の後悔を
何度か経験した。
どうしようもないことを受け入れられない気持ちと現実との狭間で、しばらく体のど真ん中奥底に重たい虚無感を抱えるようなことがあった。
それでも、経験して学んだからこそ
今ではその後悔すら前向きに捉えることができている。
そして、悔やんでも悔やみきれないようなことは、その重みに関わらず、一生抱えていくものなのだろうということも少しずつ分かってきた気がする。
それもいい学びだった。
③「形」
なるほど。
と思うところがあった。
「形」の力は大きい。
それは、目に見える形という意味でこの言語化も同じだと思う。
人の気持ちは変化し続ける。
「形」をつくることによる安心感は
想像以上のパワーがあるのかもしれない。
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ここまで書いておいてなんだが、
実は性格的にあまり後悔するタイプではない。
でも人間関係の後悔は別ものだ。
自分の行動が思わぬ形で相手を傷つけてしまって後悔することもあるし、行動しなかったことで後悔することもある。
その場で後悔するかどうかを冷静に判断できないときもあるからこそ、人から学ぶことで少しでも後悔するような場面を減らしていきたい。
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です・ます調より、だ・である調の方が書きやすくて今回から文体を変えてみた。
だ・である調にすると自意識が強く出てしまって
気持ち悪い文章になりがちなので、
そうならないように意識して書く✍️
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