ヨーガとサーンキヤ哲学の関係

ヨーガとサーンキヤ哲学との関係

心のとりとめもない働きを止め、悟りを得るためのシステムとしてヨーガという行法が成立したのは、ブッダによって仏教が開かれるよりも1,2世紀以前つまり紀元前6~8世紀頃だったのではないか、とされています。そのヨーガ行法を一つの学派として存続させるために理論的な裏付けとして結びついたものがサーンキヤ哲学でした。

サーンキヤ哲学とは、真我=プルシャのために自性=プラクリティが世界を展開していて、この2つで世界は成り立っているという二元論的多元論で構成されており、仏教以後の紀元前4,5世紀の間に成立したのではないかと言われています。ヨーガが解脱システムとして成立した後に、サーンキヤ哲学は生まれており、その内容には密接なつながりが見られます。

ヨーガ行法が精神統一という心理的操作を意味するようになったいきさつが記されている最も古い文献であるカタウパニシャッドには、馬を馬車につなぐという例えで、人が知覚器官の抑制から徐々に深い心の働きまでを止めていく操作が説明されています。

そこには外的意識から内的意識へ順番に向かう心理的作用が記された後、その最後の段階にはそれまでの心理学的概念ではない、形而上学的概念ととらえられるプルシャが突如現れます。要するに、その最後の段階に至ると、それまでとは全く違う状態を体験することになります。個人的主観の自己同一性が完全になくなり、飛躍的に絶対的実在の真我として存在するようになります。そこには主観客観の区別がなくなります。

このように人間とは本来純粋絶対的な存在、プルシャであると悟るためには、この世のような環境が必要であるとの考えが生まれます。この世界は本当の自分に気づくために生み出されているものだ、との考え方です。見るもの=真我に悟ってもらうために、見られるもの=自性が転変という現象を使っていろいろな出来事や環境を作っている、というのがサーンキヤ哲学の理論です。

この世の様々な出来事は本当の自分に気づくために自分が起こしている、といえるとすると、事柄に感情的に一喜一憂するのではなく、その出来事は本当の自分に気づくためにどんな意味があるのか、その出来事に対してどのような心でいるべきなのか、と常に自分に問い続けていくことが大切となります。その繰り返しが修習になり、しみついた薫習すなわち生き方、考え方の癖のようなものが変わっていくのだと思います。

ハタヨーガは、体から心を静めていきます。心の働きが静まるほどに、現実、この世という仮想現実、映画のようなものに振り回されることが減っていきます。そして物事の受け止め方がすべて自分のために自分で起こしていることという見方に変われば、そこからの人生はそれまでとは全く変わるのだと思います。

サーンキヤ哲学の原理を知ることで、感覚が鈍ってしまった現代人でも、悟りや解脱についての知識を得て理解を深めることができます。そうして自分が輪廻を抜けることを希望し、ヨーガ禅を深め今までの行動や考え方も変わると、体が変わり心も変わります。たとえ感覚で受けとる力が弱くても、正しく学ぶことで解脱の方向へと進むことができるという希望をもちました。

参考文献 佐保田鶴治『解説ヨーガスートラ』人文書院
     成瀬貴良『今に生きるインドの叡智』善本社


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