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アダルトチルドレン母の苦脳本当の自分を見せられない

アダルトチルドレン母は
幼少期に
「どんな自分でも受け入れてもらえる」
という
安心感を得る事がなかったので、
何も考えず
「人と付き合う」ということが苦手です。

キャラクターを作ってしまう癖もあります。

そのため
近すぎたら離れたくなり
あるいは境界線が曖昧になり
どっぷり依存してしまい
例えば、
一心同体のような
「私の痛みを分かれ」と
自分の痛みを分からせようとする関係に
なる事もあります。

「存在そのものを受け止めてもらえる」という安心感を持たず大人になる事は

人間関係に大きく影響する。
私はずっと
自分を開示できなくて、
そもそも本当の自分は
赤ん坊の頃に
忘れ去っていて
変な見栄を張ったり

自分の存在を認めて貰っていない不安から
こうすれば
恐らく認めてもらえるだろう。
こうすれば
変には思われないだろう。と、
『嘘』を付く。

虚栄心。

小2の時
転校先で1人だけ
名前は忘れたけど、
仲良くなった女の子がいました。
お家に遊びに行かせてもらいました。
冬場で暗くなるのが早かったので
女の子のお母さんが
車で送ってくれることになりました。

小2の私は「嫌」だな、と思いました。
その時 父の酒と暴力が止められないので
母と妹と私の3人で
「逃げている」 状態でした。

2ヶ月程でしょうか。
工事現場で働く方の仮設寮のようなところで
父の元を離れ
母は私たちを連れて
住込みで寮の清掃や
まかないの手伝いをしていたことがあります。

その時、私の家はプレハブの仮設の寮だったのです。

子供の私は
「変」「はずかしい」
「本当の姿を知られなくない」という気持ちでした。

私は女の子のお母さんに
「お家はどこ⁇」
と聞かれドキドキしました。

どんな風に説明したのかは
覚えていませんが、
私は車に乗せてもらって
プレハブの仮設寮を通り過ぎたのに、
「ここです」と言えなかったのです。
車から
横目で仮設寮を
通り過ぎたのを覚えています。

「ドキドキ」

とても後ろめたい気持ちでした。

私は「嘘」をついたのです。

どんな風についたかは
覚えていません。

記憶にあるのは、

プレハブの仮設寮をしばらく通り過ぎて、
知らない団地の入口で車を降りたのを覚えています。

私は別の団地を家だと教えたのです。
「ここでいけます」みたいな事を言って
慌てて逃げさるように走った記憶があります。

私はそこから
どうやって仮設寮に帰ったのか
覚えていませんが、とにかく
めちくちゃ歩いた記憶と
とても寒くて
寂しくて心細くて
嘘をついた事の心のチクチクと
あんな変な家がバレなくてよかったという安心がありました。

本当に冬の夕方は切なくなります。

いつからか、
「うちの家族はおかしい」という感情を持っていた私は

振り返ると
隠そうと
ずっと虚栄の癖があったように思います。

それは私が私の存在を守る大事な
過程だったのです。

小さい頃から近所から
陰口を叩かれる家だと思っていました。
それは母の病気の症状の
被害妄想からの独り言が原因でした。
近所の人がうちの家族の悪口を言っているという内容の独り言を
ずっと聞かされていたのです。

今は病気だったのだ。
と半分理解できますが、
諦めきれない気持ちもあるんです。
やはり心の持ち方、
安心して心の触れ合う場所がなかった。
そもそも探さなかった。
知ろうとしなかった。

自分は
「不幸なんだ」
「かわいそうなんだ」
に納得していた母親。

私は嫌だった。

そんな風に自分を思うのが。
生まれた時から
惨めな人なんているはずがない。
 と信じたい。

私は
自分を大事にする感情を奪われる経験を
沢山味わって
子供時代を生きてきた。

親戚からも
『3歳までに愛情をもらってないから可哀想』と言われた。

私はそんな風に思われたくない。

馬鹿にされたくない。

だから
必死に適応しようとした。

必死に合わせようとした。

だから疲れていたんだろうな。

人間関係に。

根本的に
自分なんて受け入れられるはずないって思ってるから
こちらからは動かない。

常に受け身、
近よってくる人にも
警戒なアダルトチルドレン母。
人との距離感が分かりにくい。

だが、
アダルトチルドレン母ほど、
本来の自分を見つけたい時
発信するとよいですね。

常に受け身で
誰でも寄ってきやすいが、

発信した時
しっかりと 
言葉をくれる人にだけ
関心を向けたら良いですよ。

心を閉ざさない勇気。

閉ざさなければ。
 
優しい人に囲まれていた事に気づける
事でしょう。

きっとできる
心の結びつき。





 


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