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「ごめんね」が言えなくて


「ごめんなさい」が素直に言えますか?

私は子供の頃から
「ごめんね」が
言えなかったのです。

家族間で
ごめんね。
ありがとう。

が全くない環境でした。

振り返ると

罪悪感ばかりの半生でしたが
「ごめんなさい」と言った 
記憶が特ないです。

小3のとき
親戚の叔父さんがクリスマスに
私に
「ごめんねが言えなくて」
という児童書を
くれたのを覚えています。

それは
私のことなのか?

子供の私は
嫌な気分が残っていました。

ですが、私は謝れない人間なんだと
自覚した出来事があります。

私は中学時代
母親の睡眠薬を
多量摂取し
自殺未遂から
そのまま
不登校になり
引きこもりました。

高校は通信制です。

そして私は
通信制高校に上がる前の春休み
初めてアルバイトしました。
2週間だけのアルバイト。

凄く勇気が必要だったのを覚えています。 

お金をためて家を出たかったからです。

引きこもってる間は
人生終りでいつでも
消えるつもりでした。

お金が人生をかえる
チャンスに思えました。
人生やり直せる
位の心境でした。

人が怖かったので、

飲食店のホールは無理だと思いました。

和菓子の箱詰め作業できるかな?と
思いましたが引きこもり明けで
大変でした。

全日制の高校生で
一つ上の先輩が3人いて
輪に一切入っていくことも
できませんでした。

楽しそうに話ていて、
別に仲間外れにされているわけで
ないのに
相手にされていないような。
私はちっぽけな存在に感じ、惨めで
消えてしまいそうでした。
 
「おはようございます」だけ
頑張って言おうとしていましたが、小さい声でわたしは「真面目で大人しい人」でした。
たまに話かけてくれるのですが
うまく返せませんでした。

1人の先輩と
帰りの 
電車が同じになるのが気まずくて
ホームで近くにいるのが嫌で
私は遠回りして
駅に着くのを遅らせて同じ電車に乗らないようにしていました。

コミュニケーションが苦手な
15歳の私は

ある日休憩で、トイレにいこうと
トイレ戸を開けたら

和式トイレで

なんと先輩の一人が
用を足していたのです。


「わあ!」と
驚いた声が出たのを覚えてます。
「キャ!」と
先輩の声がしました。

わたしは、直ぐトイレの戸を閉めました。

先輩は
トイレの鍵を閉め忘れていたのです。

私は先輩の顔を見ることも
「ごめんなさい」
を言う事ができませんでした。

なかったことにしようと
していました。

無価値な私は
「ごめんなさい」を認めると

存在していられないような感覚でした。

ごめんなさいを認めると
私はどうなるのだろう。
私は
私って気づかれてないはずだ。

なぜなら、
先輩の後ろ姿だったからだ。
目は合ってない。

私は自分の都合のよいように
考えました。

トイレを開けたのは
「私」だと名乗ることもできませんでした。

私は私のことしか考えていませんでした。

バイト期間の間
その先輩の顔をみることができないまま
バイト期間を終えました。

私はこの出来事から
自分への罪悪感を深めました。

そして
長い歳月が流れ

「ごめんね」が言えない罪悪感

「ごめんさない」
を言わない相手への嫌悪感は

同じだったことがわかりました。 

私も
相手も

そこには
「抵抗」があるんだな

私1人が被害者だと
思っていたのが
苦しを増していた。


「ごめんなさい」
自分を許す合言葉でした。


自己嫌悪の数だけ
「ごめんなさい」
がありました。

感情と共に

ひとり言でも
「ごめんなさい」を 
よく言っています。

そうすると、
軽く
素直な気持ちに
なるのです。



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