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曽野綾子『晩年の美学を求めて』使命

老年や致命的な病で

死を視野に入れなければならなくなった時の人間には、

一つの大きな任務がある。



それは内心はどうであろうとも、

できるだけ残された時間を明るく過ごす、

という使命である。


その理由は簡単だ、

第一には、周囲の人を不愉快にさせないためだし、

第二には生き残る人々に死や病気はそれほど決定的な不幸ではない、

ということを身をもって証明するためである。

死を迎えるにあたっての使命は

残された時間を

できる限り明るく過ごすということだ。


老年であろうなかろうと

病であろうとなかろうと

死は必ずやって来る。

死から逃れることはできない。


そう考えると

このことは

死をまだ意識していない

すべての人にも当てはまるのだ。


できる限り明るく過ごす。

内心はどうであろうとも。

だから晩年も感謝して明るく生きることである。

いや、

もっとはっきりいえば、

心の中は不満だらけでも

表向きだけは明るく振る舞う義務が

晩年にはある。


心から相手を好きでなくても、

愛しているのと同じ理性的な行動を取ることだけが、

むしろほんとうの愛なのだ、

と聖書が規定しているのと同じである。


長く生きた人々は、

或いは

病気で苦労した人々は、

それくらいの嘘がつけなくてはならない。

理性的な愛を示す。


心の中ではそうではなくとも

愛しているのと同じような行動を取る。


それが

本当の愛。


それが

晩年の美学。

人生の美学。

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