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曽野綾子 みっともなくなれる

私は小心者だからよく分かるのだが、

思い切って

みっともなくなれる、

ということも、


一つの正直で

素晴らしい才能の

あらわれである。

強烈な非難を受けた時に

それに対抗するのでなく

そうですね

と肯定する。


自分のプライドを守るために

対抗するのではなく


その場の雰囲気を変えるためにも

その非難を受け入れて

肯定する。


すると

相手は

それ以上の非難を言うことができなくなる。


みっともなくなれることは

心が強くないとできない。


自分への非難を

肯定することは

自己肯定が確固としてある上で

できる。


根っこが太く強くあれば

先端の枝が

どれだけ揺さぶられても

大丈夫なのだ。


守るべきプライドは

自分自身が理解できていれば

それでいい。


人から理解されることは不可能なのだから。

言いたいことを言わせていけばいい。

だから

言われたことを

ただ肯定するだけでいい。


その時にみっともないと判断されても

いい。


自分が自分を否定しなければ

いいだけ。

『私を変えた聖書の言葉』

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レモンバーム17
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