神の十全性 曾野綾子『晩年の美学を求めて』より
その中の『碑文は祈る』より
トリノの無名戦士の墓に刻まれた碑銘に
書かれていた言葉。
「私は人生を楽しもうとして
神にすべてを願った。
しかし、
神はすべて(神の十全性)を楽しませようとして
私に人生を下さった。
私が神に願ったことは
なにひとつ叶えてもらえなかった。
しかし、
私が神において希望したことは
すべて叶えられていた」
神の十全性とは
英知、正義、明快さ、許し、優しさ、豊満、複雑さ、思慮、厳しさなど
欠けることのない完璧な満ち足りたもの。
神は私にその十全性を味わわせるために
なにひとつ叶えることがなかった。
けれども、
私は人生において
その十全性を十分に味わい尽くすことができたので
神に願ったことが叶えられた。
この逆説的な神の計らい。
・・・
もう一つ
また富岡幸太郎の『聖書をひらく』の中の、ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に掛けられている、患者の作ったという詩。
「病者の祈り」と呼ばれている。
「大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった
人生を享受しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
いのちを授かった
求めたものは
ひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神のみこころに添わぬ者であるにも
かかわらず
心に中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かにに祝福されたのだ」
先ほどの無名戦士に通じる捉え方が見えてくる詩。
神の十全性を求めるということは、
与えられた人生を
十分に生きていくということ。
人生において
多くの苦難と思われるものの中からも
そこから何かを学ぼうとする心があるならば
実に多くの事を学ぶ事ができる。
そした学んだことは非常に尊いものとなり
自分自身を勇気づけ
より良く生きようとする糧となってゆく。
その人生において
ひたすらに
より良く生きてゆくことこそ
何より自分が求めていた
神の十全性を学ぶこととなる。
その生きている人生が
すなわち
「神に祝福された」
ということとなる。
見えない神の力によって
私たちは
生かされている。
そして
神に
私たちは
いつも見守られている。
よろしければサポートをお願いします。