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曽野綾子 最後の贈りもの

あらゆる願わしくない、
しかも
不当な運命に会う時、
人間は
飛躍的に精神を太らせて来た。

罰を受ける理由もないのに、
「老・病・死」を苦しまねばならぬ時に、
人間は
初めて
この地球を
全体として眺めることができるようになる。

信仰や哲学がそのためにできた、
などという言い方をしなくても、
人間は
その時になって初めて自分を把握し、
自分の生命が数十年の使命を終えて無機物に還るその過程を
「受諾」する気持になれる。

つまり
それは、
人間が自分を真に成熟したものとして育てるための、
最後の贈り物なのである。

『辛うじて「私」である日々』

困難を目の前にして

挫けそうになりながら
泣きながら
逃げ出したくなりながらも
唇に力を込めて
何とかしようとして
行動に移ることができる時

その精神は
必ず成熟に向かっている。

そして
その困難を困難だと思わなくなる時

乗り越えた
受け入れた
超越した
精神となるのだろう。

そして

自分ではどうにもならないことを
どうにもならないままに
受諾することができると

命のいうものの存在の深さと奇跡を
しみじみと感じることができる。

その生きて来た過程
そして
迎えるであろう命の終わり

それを傍目で眺め
他人事のように
感じることができるようになった時

安らかな境地となるのだろう。

その受諾の気持ちとなることが
成熟した人間となるための
最後の贈り物という。

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