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一つの祈り  曾野綾子『晩年の美学を求めて』

「主よ、

あなたがあの人のことを、

引き受けてくださいますから、

一切をお任せいたします。


私の力ではなく、あなたの力で

私の愛ではなく、あなたの愛で、

私の知恵ではなく、あなたの知恵で、

お守りください。


主よ、抱きしめてください。

私の代わりに」


本の中の「木陰で荷物を下ろすとき」の祈りの言葉。

晩年の美学は

限界を見定めることにあると書いてある。

・・・

この祈りを胸に抱き

日々祈るように

この言葉を繰り返していた時がある。

今でも同じ気持ちでいる。

・・・

多くの問題を抱えていた時

私の頭の処理能力を超えてしまった時

心に余裕がなくなった時


このように

私は暴れる一人の子どもの一切のことを

神に委ねることにした。


多くの苦悩の原因を

私に当てはめて責めてきた時

もう限界がきたのだ。


もう私の能力では

うまく対応できないと思ったのだ。

おそらくは子どもの甘えからきたこと。


けれども

そのように考えてしまう子どもにしたのも

私自身の責任でもあるとも

ずっと思っている。


一生懸命に頑張っても

うまくいかないこともあるのだ。


人に言わせると

私は頑張り過ぎるという。


でも

私から頑張ることを失くしてしまうと

もはや

それは

私自身ではなくなるというのに。


批判することは誰にでもできる。

本当に大変な思いをするのは

当事者だけだから。

理解できるはずなどないのに。


相手を責めることができなくなるという

困難を乗り切り


子どもはすでに大学を出て

そして

自分自身の人生を歩き始めた。


今度は

自分が夫となり

そして

親となり

生きてゆくのだろう。


神に委ねている。

穏やかに

安らかに

生きてゆけるようにと

祈っている。


いつか私の気持ちが

分かる日はくるのだろうか。


いや

期待はしていない


ただ

遠くから


ただ

見守るしかない。


もう自立した大人なのだから。

もう大丈夫だ。


これまでよく頑張ってきた。


もう私は

木陰で荷物を下ろしてもいいのだ。

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