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曽野綾子 不純がいい

私はものの考え方は不純がいいと思う。

物事において

不純な動機の方が

安定しているという。

理解もしやすい。

理屈があるから。

むしろ小さなことでは不純を許す方がいいと思う。

小さな不純は誰にもある。

それをお互いに許し合ってきている。

人間には、自分を疚(やま)しいと思う部分が必要だ。
『悲しくて明るい場所』

いつでも

自分に不純で疚しいところがあることを

意識することが

ほんとうに大事なことなのだ。


それが意識できない時に

人は人を

平気で糾弾する。

自分は正しいことしかしてこなかった、

と思うような人間になったら、

周りの者が迷惑する。

自分は正しいことしかしてこなかった

と言える段階で

もう不純だらけなのだ。


しかも

意識できていない

不純は

気味が悪い。


何をするか分からない人となる。

恐ろしい。


自分の不純

自分の罪を

意識できるかどうか


それが

本当の人間になれるかどうか

となる。




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