『ネットニュースで世界が良くなるわけがない』第5話

第5話「有名人の結婚って離婚と比べて話題が長引かないんだよなぁ」

「えっ、オーランドさんってハーフじゃないんですかっ?」
「違いますよー。ハーフじゃなくて、キラキラネームっす」
「そうなんだよね。僕もしばらく勘違いしてたよ」

 金曜日、新宿の靖国通り沿いのビアバー店内は、近く遠くで様々な声が交差する。
 クラフトビールの注がれたグラスを手に、中村さんは職場よりも砕けた口調、オーランドさんはいつものテンション。
 3人、何でもない話で盛り上がる。

 恋愛相談という余計すぎる大義名分は空中分解したものの、良い機会だということで私たち3人は飲みに繰り出した。
 玉木さんがザルと言うだけあって、中村さんは既に5杯目だが顔色・表情・態度どこにも変化は見られない。
 オーランドさんはあまり強くないのか、1杯目で早々に顔は真っ赤、3杯目に入ってからはペースも急激に落ちていた。

 そんな中、明かされた衝撃の事実。
 オーランドさんは、純日本人であった。

「色白だから騙されるんだけど、よく見たら顔は普通に日本人なんだよね」
「オーランド、ハーフではなかった。これは2万PVは堅いですね」
「出たー職業病。すぐ見出し考えちゃうヤツ。蒼ちゃん先輩も染まりましたねー」
「あるある。バラエティ番組とか見てる時、芸能人の面白いエピソードトークが流れたら真っ先に見出しを考えちゃうよね」

 やはりみんなやっているのだ、と妙な安心感。
 芸能ページの運用を始めてからというもの、素直にテレビを楽しめなくなっている自分がいる。
 ただ職場に染まったのだと考えれば、そこまで悪い気はしなかった。

「ちなみにオーランドさん、キラキラネームってことは元は漢字なんですよね。どんな字なんですか?」

 この質問に、オーランドさんのあどけない笑顔が一気に引きつる。そして中村さんは、いたずらっ子のような目つきで彼を見つめる。
 何やら不自然な空気だ。
 オーランドさんは免許証を財布から取り出す、ただそれだけ行為をひどく鈍重に行う。

「見てもいいっすけど……絶対に笑わないでくださいね」

 なんと失礼な。私は口を尖らせ不服を唱える。

「人の名前で笑うなんて、私そんなこと……」

 三田 王嵐土

「ッフガ!」

 鼻が爆発するかと思った。口から出るはずの笑い声が、堪えるあまり行き場を失くし、鼻から変な音となって飛び出してしまった。

「笑った! 蒼ちゃん先輩いま笑ったでしょ!」
「いやーいつ見てもカッケェな、王嵐土。絶対にエクスカリバー抜けそうな名前だよね」
「中村さんもバカにしてるでしょ!」

 こんな話をしているうちに、時刻は9時を過ぎていた。飲み会はお開きとなり、民族移動のように新宿駅へ向かう人の群れに、私たちも混ざる。

「あっ、オーランドせんぱーい!」

 すると近くにいた女子の一団から、こんな声が飛ぶ。オーランドさんは「わっ、ちょっとすみません」と私たちに断りを入れ、彼女らに近づいていった。
 そんな光景を目の当たりにして、早速中村さんは茶化す。

「やっぱモテ男は違うねー」
「まぁモテないわけがないですよね。顔も良いしコミュ力高いし」
「名前もかっこいいしね。中学高校の時も、学校にファンクラブとかあったんだろうね」

 確かにオーランドさんの風貌は、アイドルやホストのそれに近い。しかも人懐っこく誰とも分け隔てなく接するのだから、熱狂的なファンがいてもおかしくないだろう。

「蒼井さんもオーランドと仲良くしすぎると、ファンからいらぬ恨みを買って刺されちゃうかもよ?」
「いやいや、流石にそれは言い過ぎですよー」
「すみませんお待たせしましたーっ、大学の後輩がいたもんで。それで、何の話ししてたんすかー?」

 大学生特有の無闇に高いテンションを引きずったまま戻ってきたオーランドさん。中村さんはシニカルに笑いながら告げる。

「オーランドにはヤバいファンがいそうだなーって話だよ」
「えー何すかそれ! そんなことないっすよーっ、ていうかファンなんていないし!」

 ですよねー、と私がいうよりも早く、オーランドさんは「あっ」と何かを思い出す。

「でも先月、ストーカー同士が僕の部屋で偶然出くしちゃったみたいで、僕が帰宅した時にはお互いナイフを構えて間合いを計っていたんですよ~。あれは怖かったなぁ~」
「…………」

 そのエピソードに対して、どんなレスポンスをするのが正解なのか。
 言葉を失う私と中村さんを見てオーランドさんは「大丈夫ですよ~、血は流れませんでしたから~」とフォローしていた。そういう問題ではない。

 オーランドさんと無闇に親しくなるのはやめておこう。
 私は心の中で密かに誓った。

      ***

「わっ、すごい!」

 朝番に戻り、芸能ページを運用していた昼過ぎごろ。
 新たに配信されたとある記事が目に入った瞬間、私は思わず声を上げてしまった。

「声優の雛田里香と、同じく声優の高本涼が結婚だそうです!」
「お、2人とも有名人だね。トップページで掲載するよ」
「了解です!」
「最近の声優さんってみんな当然のように顔を出して、テレビに出たり動画配信してる人も多いから、ポケニューでもけっこう数字取れるんだよね」

 中村さんの言う通り、当該記事はトップページに掲載した途端、爆発的に伸びていく。事前に熱愛報道など無い状況での結婚発表なので、驚きからクリックしている人が多いようだ。

 結婚などおめでたいニュースは久々で、私もつい顔が緩んでしまう。ポケニュー編集部全体も、何だか幸福感で包まれているようだ。

「結婚かよー。有名人の結婚って離婚と比べて話題が長引かないんだよなぁ。どうせなら不倫の末の略奪婚とかであれば良かったのになぁ」

 約1名、ヒネくれ過ぎて最低の感想を漏らす編集長もいるけれど。

「でも玉木さん、結婚報道が必ずしもスッキリ終わるとは限りませんよ」

 そんな指摘をするのはオーランドさん。ニヤリと不気味な笑みを浮かべ、自身のディスプレイへ視線を促す。そこにはSNSやネット掲示板のスレッドが映し出されている。

『うわああああああひなりんがあああああああ』
『高本涼って誰だよクソがああああああああ』
『いま会社ですが涙が止まりません。早退します』
『今から首吊ればひなりんの子どもに転生できるかなぁ……』

 地獄絵図である。
 どうやらオーランドさんは、雛田里香ファンの反応を探っていたようだ。

「阿鼻叫喚ですね……でもまぁファンの気持ちを考えると、そうですよね……」
「雛田さんっていわゆるアイドル売りもしていた声優さんなので、こういうファンも多いんすよ。ちなみに同じく声優同士でユニット組んで歌って踊っていた高本涼のファンの反応がこちらです」

『涼ちん趣味悪すぎ』
『あんな乳臭いガキのどこが良いの?』
『ずっと騙してたんだ、この詐欺師』
『事務所に抗議文送った。絶対に許さない』

「わーお……」
「男女ファンの心理の違いがよく分かるね……」
「ちなみに『単推し』だけじゃなく、この2人が共演した女性向けアニメ『戦国プリンス歌劇団』のファン、いわゆる『箱推し』の人たちも憤慨しているみたいですね。本スレが主に雛田さんに対しての誹謗中傷ですごいです。蒼ちゃん先輩、見ますか?」
「いや、いいです……」

 いろいろな言葉を知っているオーランドさんである。

「よし、おまえらファンの過激な反応系の記事が来たらソッコー掲載しろよ。流石、目の付け所が違うなオーランド」
「うへへ、あざっす」

 玉木さんとオーランドさんはそろって下卑た笑みを浮かべる。この2人、実は似たもの同士かもしれない。

 ただオーランドさんの言う通り、皆が祝福しているわけではないのだ。
 事実、熱愛報道が出たアイドルや声優へファンが殺害予告をしたり、ストーカー行為に及ぶなど笑えない事件も過去に起きている。もちろんそんな人はごく一部で、今回の件も中には素直に祝福しているファンも少なからずいるだろう。
 アイドルにも色々、ファンにも色々あるのだ。

 ポケニュー編集部では週に1回、定例会議がある。朝番・夜番担当者ともに在勤している15時ごろに始まり、主にその週の実績やニュースの傾向などを振り返るのが目的だ。
 編集長の玉木さんが淡々と説明していく。

「この週は特に大きな出来事はなかったから、前週と比べると総PV数は微減ってところだな。ついさっき発表された声優同士の結婚に関する話題をうまく広げられれば光明は見える。それと大きな話題は無くとも、クオリティが高く、バズりそうな記事は常に配信されている。それらを逃さないよう、意識してほしい」

 この時ばかりは玉木さんも、それなりのリーダーシップを発揮している。
 そして会議も終盤に差し掛かったところで、もうひとつ大事な議題に入っていく。

「この週のミス数だけど、一番多いのはオーランドだった。確か先週もだったよな」
「うへー、すんませーん」

 ミス数の確認だ。
 たった16文字のリタイトルとはいえ、人間がその手で打ち込んでいるので少なからずミスは出てしまう。その週にどんなミスがあったかをこの場で共有し、再発防止に努めるわけだ。
 たとえ小さなミスでも、場合によっては大ごとになりかねない。それを私は春先に身をもって経験している。なので今週のミス数も……。

「一番少ないのは蒼井だな」
「はいっ」
「まぁおまえは信長の同級生事件から慎重になってるんだろう。ミスが少ないのは良いことだけど、記事のリタイトルにかける時間が一本一本長いから、もう少しペース上げろ」
「はい……」

 作業速度とミス数は比例するのが常。
 オーランドさんはミスは多くも作業スピードは速く数字も残している。ミスが少なくともPV数の上でサイトに貢献できなければ元も子もないのある。 
 現実を突きつけられたところで、会議も終了、と思いきや。

「……あ、そうだ。もうひとつあった」

 それまで真摯な様子で会議を進めていた玉木さんが、ひどく面倒くさそうな表情を浮かべる。

「上の方から、ポケニュー編集部の『ありのままの姿』を撮って、SNSにあげろってお達しがあった」

 みなそろって首を傾げる。中村さんが代表して尋ねる。

「『ありのままの姿』って、つまり仕事してる写真をSNSに投稿するってことですか?」
「そうだ。ポケニューの社会的な好感度を少しでも上げるための策らしい」
「社会的な好感度って、そんなのどうあがいても上がらないっすよー。眉唾もののゴシップ記事とか掲載している限りは」
「おまえがそれを言うか。まぁ上の連中もいろいろ考えてのことなんだろう。SNS掲載用の写真だが、もちろん顔は出ないようにするから安心しろ。どうしても映りたくなければ俺に言ってくれ」
「僕は別に顔出しても良いっすけどね」
「面倒なファンが集まりそうだから、それはやめよう。ちなみに写真は誰が撮るんですか?」

 中村さんの問いに、玉木さんは「んー」と唸りながら頭を掻く。

「それはまだ決めてない……実施はまだ先だから、少し考えるよ」

 そうして会議は終了。それぞれ自分の席へ戻っていった。


 オーランドさんはトップページの運用をこなしながら、口もめいっぱい動かす。
 話題は再び、リタイトルのミス数について。

「校閲さんがきびしーんすよねー。誤字脱字は仕方ないとしても、記事内容と少し論調が変わったり、ちょっと過激な見出しをつけるだけですぐに修正を求めてくるんすもん」
「過激って、例えばどんなリタイトルですか?」
「んー、例えばこれとか」

 オーランドさんが校閲さんとの過去のチャットのやり取りを見せてくれる。その見出しがこれだ。

 駅前に痴漢登場「俺の股間が大噴火」

「いや、これはダメでしょ……」

 これに対し校閲さんは「発言内容が過激でユーザーが不快感を催す恐れがあります。修正お願いします」と冷静に指摘していた。

「でもこの痴漢の発言が面白いんじゃないすかー。実際この見出しでめちゃくちゃ伸びてたしー」

 トップレベルの成績を残しているオーランドさんだが、このように過激な見出しをつけたり、倫理的にギリギリなゴシップ記事を躊躇いなく掲載していることが要因のひとつとなっている。
 PV数至上主義の玉木さんは基本的にそれを黙認しているが、校閲の壁を突破できないことも多いのだ。
 そんなオーランドさんの主張に、中村さんが言及する。

「仕方ないよ。こっちは数字優先でも、向こうは整合性とか倫理的な正しさを優先しているわけだからさ。サイト運用側と校閲側は、立場上なかなか相容れない関係だよね」
「そうっすよ! つまりはガッデム校閲ですよ!」
「それは言い過ぎ。向こうも仕事なんだぞー」
「ぐわーっ、元フーリガンの体罰だぁーっ!」
「元フーリガンじゃないって言ってるんだぞーーー」

 中村さんに頭をグリグリ撫でられると、オーランドさんは笑顔でわざとらしい悲鳴を上げていた。仲がよろしくて何より。
 ひとつ、気になることができた。

「私、校閲の人と実際に会ったこと無いですけど、この社内にいるんですよね」
「そういえば、僕も無いかも」
「あー、そうだね。一応このフロアにいるけど……一番端だからここからじゃ見えないね」

 同じフロアと言っても四方50mほどある。顔見知りになれる人など限られるのだ。

「僕もちゃんと話したことあるのは校閲部署の部長くらいだよ。校閲さんはポケニューだけじゃなく、特集記事とか連載小説とか、FLOWが取り扱っているあらゆるメディアの校閲をやっているからさ。なかなか個別で会うことはないよね」

 校閲さんとのやり取りは基本、チャット上のみ。校閲さんは私たちが運用するポケニューのサイトをチェックし、修正点をチャットでお知らせしてくれるというわけだ。
 チャットで確認できるのはお互いの名前だけ。本当に仕事上の関わりしかないのだ。

「そっかぁ。でもせっかくなら実際に顔を突き合わせてお話ししたいっすよね。特に『元井川さん』とか!」
「あ、私もその名前に覚えがあります」

 多くの校閲部署の社員がポケニューをチェックし、私たちとチャットしているが、元井川という名前の人は特に多くやり取りをしている気がする。
 つまり、それだけチェックが厳しいのだ。

「元井川さん……確かに数年前からよく見るようになった名前かもなぁ」
「どんな顔してるのかな~。絶対メガネかけてそうですよね! 分厚いやつ!」
「偏見がすごいな……」

 数年前から校閲にいるということは、私よりも年上なのだろう。
 ポケニューにおける正義の番人、校閲の元井川さん。一体どんな人なのだろうか。

      ***

 翌日も朝番として7時から運用をしていたが、10時に一度中抜けすることとなった。新入社員などに課せられたリテラシー研修なるものに参加するためだ。

 そもそも「煽ってナンボ」とでも思っていそうな編集長のもとで働いているのだから、リテラシーもクソもないとは思いつつ、新卒の義務ではあるのでしっかり出席する。

「……ん?」

 会議室の入り口に貼ってある座席表。自分の名前よりも先に、見覚えのある苗字を見つけた。
 元井川。
 昨日、中村さんやオーランドさんとの雑談で話題に上がったばかりの名前だ。よく見ればその斜め前に私の席があった。

 席についたのち、一度冷静に考えてみる。
 中村さんの話では、校閲の元井川さんは数年前から在籍しているらしい。
 だが今回の研修は、新入社員や4月に中途入社した社員に向けたものらしい。となれば別人と考えるのが妥当だろう。
 ただ、元井川という苗字はかなり珍しい。こんな偶然があるだろうか。

 その時だ。
 おおよそ斜め後ろの方向から、イスを引きずる音が聞こえた。
 そもそも名前しか知らないのだから意味はないが、つい私は振り返って、元井川さんの顔を確認してしまう。

「ひっ……!」

 とっさに前を向き直す。いま私は、とても恐ろしいものを見てしまった。
 そこにいた、細身で前髪重めの黒髪ロングの女性は、私を見るやいなや強烈な眼力でもって睨み付けたのだ。ゴゴゴ……と音が聞こえてきそうなオーラを放っていたように感じる。

 想定外すぎる事態に私は大混乱である。
 え、なんで? 仮に校閲の元井川さんだったとしても、なんで喧嘩腰?
 いや、きっとデフォルトでそういう目つきの人なのだろう。私はいま一度、振り返ってみた。

 元井川さんは、隣に座った初対面らしき女性と軽く会話していた。その目は虫も殺せないだろう、優しさと穏やかさに満ち溢れている。
 しかし、私の視線に気づいた瞬間……。

「ひぃぃっ……!」

 虫は殺さない代わりに私のことは平気で惨殺しそうな瞳が突き刺さった。
 いやマジだこれ。私への敵意がすごい。いや本当になんで?

 あの元井川さんは校閲の元井川さんなのか。そうだとすれば何故、新入社員向けの研修に出ているのか。
 そして何故、私を親の仇のような目で見るのか。
 疑問が頭の中で渦巻き、私はリテラシー研修中、まるで集中できなかった。
 ちなみにオーランドさんの言う通り、メガネはかけていた。


 研修はつつがなく終了。
 会議室からエレベーターホールへ流れていく人の波から抜け出し、私はひとりトイレへ向かった。

 ソープディスペンサーからニョロニョロと出てくる泡を受け取りながら、自然とため息が漏れる。
 結局、元井川さんのあの視線はなんだったのか。
 二度目の視殺以降、私は怖くて元井川さんの方を見れなかった。研修終了後もできるだけ元井川さんに関わらないようにと、わざと遅れて退出したくらいだ。

「私、何かしたのかな……」

 ふと、ミラーキャビネットの扉が中途半端に開いていることに気づいた。
 何の気なしに閉じた、次の瞬間……。

「ん……ひぃぃぃッ!」

 まるでホラー映画のよう。
 鏡の角度を変えた瞬間、私を睨む長い髪の女性の姿が映ったのだ。
 一瞬、見てはいけないものを見てしまったかと思った。
 が、よく見れば元井川さんである。彼女は悲鳴を上げた私を怪訝な目で見つつ、隣で手を洗い始める。

「あ、あはは……すみません」
「…………」

 一応謝ってみたが、無視。目も合わせない。
 ここまで敵意を剥き出しにされると、いっそう清々しい。そうなれば不思議なもので彼女への恐怖心は薄くなり、代わりに私も突っ込まずにはいられなくなった。

「あの……私なにかしましたか?」

 元井川さんはチラリと私を一瞥したのち、ポツリと告げる。

「いいえ。だって初対面じゃないですか、私と信長の同級生さんは」
「うぐっ……」

 唐突に、しかしはっきりとトラウマを突かれ、つい呻き声が出る。ジャブにしてはキレが良すぎる。
 だが、これでハッキリした。

「……やっぱりあなた、校閲の元井川さんなんですね」
「ええ、いつもお世話になっております」
「いえ、こちらこそ……でもじゃあ、なんで研修に? 中村さんは元井川さんのこと、数年前から知ってるって言ってましたけど」
「……中村さんが?」
「あ、中村さんって分からないですか?」
「いえ、分かります。中村将生さんですよね」
「あ、はいそうです」

 顔を突き合わせたことがなくとも、やはり校閲側もこちらのメンツの名前くらいは覚えているようだ。
 元井川さんは、少々会話のリズムが独特なのか、少しの間沈黙したのちに告げる。

「3月までアルバイトだったので。大学を卒業してこちらに入社したので、今回改めて研修を受けたのです」
「ああ、なるほど。じゃあ私と同級生なんですね。いつからバイトしてたんですか?」
「大学2年の秋頃からです。ずっと校閲チームに所属していました」
「わぁ、すごい。じゃあ同級生でも全然同期って感じじゃないですねぇ」

 なんだ、話してみれば案外普通じゃないか。少々堅苦しくはあるが、特別とっつきにくい性格ではなさそうだ。
 もう少し距離を縮めてみようと、わずかに砕けた口調にシフトチェンジする。

「校閲さんとはよくやり取りしているのに、全然交流ないですよねー。オーランドさんなんかは元井川さんと話したがってましたよー」
「……は?」
「……え?」

 一転、元井川さんをまとうオーラがドス黒くなっていくのが分かる。その瞳は研修前と同様、今ここで私の首を絞めかねない色をしていた。

「あ、あの……私なにか……」
「オーランドさん……? 三田さんのこと、下の名前で呼んでるんですか……?」
「え、あ、はい……。でも編集部のみんなそうですし、オーランドさんもそう呼んでって……」
「蒼井花さん……いえ、信長の同級生さん……」
「いや間違ってなかったですよ、前半……」

 元井川さんは最後にひとつ吐き捨て、猛烈な敵愾心を剥き出しにしながら去っていった。

「私は……あなたの存在を認めない」

 ひとり取り残された私。
 1分間ほど、呆然としてしまっていた。

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