『ネットニュースで世界が良くなるわけがない』第2話

第2話「求めているのは知識じゃない、エモーションだ」


 運用を始めて半月ほど。私は大きなヒット記事を生み出すどころか、毎時または毎日の目標PV数にも達していない。
 記事を上げては伸びずに下げる、という行為を繰り返していると、まるでユーザーに「おまえにはセンスがない」と告げられている気分になる。

 理想と現実の乖離が目に見えて広がっていくほど、モチベーションは低下する。そしてモチベーションが低下するほど、集中力は散漫になる。
 私はついには、とんでもないミスをしてしまった。

 ポン、と社内チャットのポップアップが表示される。
 校閲チームからの連絡だ。そこから持ち込まれる報告がポジティブなものであった試しがないと、密かに噂されている。

「国内ページに掲載されている放火事件の見出しですが、犯人の年齢に誤りがあります。至急修正お願いします」

 私がリタイトルし掲載した記事である。
 不安感が増幅する中、恐る恐る確認する。

「寺に放火 487歳無職の男を逮捕」

 身の毛もよだつ、とはこのことだ。
 48歳と打ったはずが、誤って隣の「7」も押してしまったようだ。結果、凄まじく長寿の放火犯が誕生。それに気付かないまま20分ほど掲載していた。
 慌ててタイトルを修正。
 しかし時すでに遅く、二次被害は今も拡大していた。

『487歳の無職w』『織田信長と同い年で草』『信長は寺燃やしても英雄、こいつは寺燃やした無職。どこで差がついたのか』

 たった20分の間にスクショまで撮られていたらしい。
 私のミスは掲示板やSNSで拡散され、あっという間にネットのおもちゃになっていた。編集部内も徐々にザワつきだす。

「ごめん蒼井さん、気付かなかった……」

 隣の席の中村さんが、顔を引きつらせながら謝罪してきた。私は精一杯、冷静ぶった声で「いえ……私のミスです」と返すしかなかった。
 そうだ、これは私の過失だ。
 中村さんにはトップページの運用という最重要の仕事がある。校閲チームだって、ユーザーが最も集まるトップページのチェックを優先している。みんな私にばかり気を配ってはいられないのだ。

 私のせい、私の責任。自然と玉木さんのデスクに向かっていた。見ればディスプレイには苦情らしきメールが表示されており、玉木さんはそれに対応している最中だった。

「あの……すみませんでした」
「ああ、うん」

 玉木さんは目も見ずに、こんな気の無い返事をする。

「あの、どうしたらいいですか。謝罪文とか……あ、そのメール、私が対応……」
「いやいらんよ。これは俺の仕事だ。謝罪文もいらん。どうせすぐ収束するから」
「でも、私のせいで……」
「蒼井くん」

 私の言葉を遮ると、玉木さんは手を止め、そこで初めて目を合わせる。

「罪滅ぼしがしたいと思うのは結構だけど、今の君にできることはないよ」
「……はい」

 視界がぐらついて、自分のデスクに戻る足取りすらおぼつかない。
 すべて見透かされていた。玉木さんの言葉は、紛れもない正論だ。
 完全なる私のミスにもかかわらず、批判や嘲笑が向けられる先はポケニューそのもの。新卒の私が足を引っ張った。その事実が私には耐えられなかったのだ。そんな気持ちなど手に取るようにわかったのだろう。玉木さんは安易な罪滅ぼしでの救済を許さなかった。

 社会の為になるニュースで、この場所から世界を変えたい。
 そんな野望とは正反対の事態を巻き起こした。誤った情報で世間を混乱させ、加害者を笑い者にしてしまった。
 今の私は社会の為にもならず、この職場の役にさえ立たない人間なのだ。


 同級生のチャットグループが盛り上がるのは、たいてい夜の6時から8時。みな帰りの電車内のヒマつぶしとして活用しているのだろう。

「そういや今日、ポケニュー話題になってたねー」
「信長の同級生でしょ笑 仕事中に見て笑ったわ」
「奇跡的すぎるでしょあのミスw 花の同僚がやったの?」
「あれ、私のミスなんよ」

 数分の不自然な間を経て、「ドンマイ」といった趣旨のスタンプが連投される。そして何事もなかったかのようにドラマの話題に移っていった。
 今度は母親からメッセージが飛んでくる。

「陶芸教室のみんなとポケニュー見てたんだけどさ、みんな一斉にスマホが故障することってあるのかな。放火犯の年齢が487歳になってたの。まさかハッキングってやつ?」

 返答する気力がなく、こちらはひとまずスルーした。
 1Kの自宅の玄関を開くと、毒針を打たれたかの如く体が弛緩していく。風呂のスイッチを押したのち、身を投げるようにベッドに横たわる。流水音をかすかに耳にしながら、眠らないよう薄目を開き活動停止。部屋を植物園にしたい、との思いで少しずつ増やそうと誓ったフェイクグリーンは、まるで刈り残しのように寂しく壁から垂れ下がっていた。

 よせば良いのに手持ち無沙汰の私は、スマホでエゴサを始めてしまう。『放火』『487歳』『信長』と検索すればするほど苦しむとわかっていて、なぜ続けているのか。

「しょせんネットニュースなんて、こんなもんだよな」

 ひどく抽象的な批判的投稿。だが効果は十分だ。
 これまでどんなに記事が伸びなくても、玉木さんに皮肉を言われても、気丈に振る舞ってきたつもりだった。しかし今はっきりと、心が折れる音が聞こえた気がした。

 眠れたのは午前三時ごろ。
 ポケニューの朝は早く、出社は7時。3時間も眠れず意識の半分を宙に漂わせながらメイク、這うように通勤電車に乗り込んだ。今日ほど電車の中で眠れる人をうらやんだことはない。

 そうしてスマホで繰り返し読み込むのは、転職サイト。
 あくまで自分の価値を測る為に続けてきたルーティンで、今にして思えばどこか他人事のように閲覧していた。
 しかし、いよいよもって現実味が帯び始めたわけだ。

      ***

「蒼井さん、隣いい?」
「うぉうっ」

 中村さんが声をかけてきたのは、休憩時間のカフェテリアにて、転職サイトに登録する為の経歴を書き込んでいた時だった。後ろめたさから人の少ない時間帯を選んで休憩していたのだが、まさか直属の上司と遭遇するとは。

「ど、どうしたの……隣ダメ?」
「い、いやいや大丈夫ですっ、どうぞ」

 即座にホーム画面に戻ったが、見られたかどうか、タイミングとしては微妙なところ。中村さんは変わらない様子で私に笑いかけた。

「昨日の、やっぱりまだ落ち込んでる?」
「……そうですね。収束したとはいえ、けっこう響いてます」
「この業界にいれば誰もが一度は経験するミスなんだけどねぇ。昨日のは運が悪かったね。まさかあの短時間であそこまで拡散されるなんて、なかなかないよ」
「中村さんと玉木さんもですか?」
「もちろんあるよ。僕は昔、俳優さんの訃報にビックリマークつけて大目玉食らったよ。幸いすぐ気付いたから、騒動にはならなかったけど」

 俳優の〇〇氏が死去!
 確かにこれは不謹慎というか、まるで喜んでいるように見える。たった一文字の記号が付くだけで、これほど印象が変わるのだ。

「玉木さんも誤字脱字くらいならたまにしてるよ。初心者の頃は見たことないけど」
「玉木さんの新卒の頃なんて、想像もできないですね」
「いや、玉木さんは中途入社だよ。僕が入社した年に社員になったんだ」

 さらりとけっこう驚きの情報を口にする中村さん。玉木さんは転職組だったのか。前職について尋ねると、中村さんは更に衝撃的な事実を教えてくれた。

「玉木さんは元俳優で、ポケニューにはアルバイトとして働いてたんだよ」
「ええぇ、意外……」

 認めたくないが、確かに玉木さんの顔立ちは整っていて背も高い。性格を知らずに遠目から眺めれば「元俳優」という肩書きに納得できる程度にはスマートだ。

 俳優として活動していた玉木さんだったが、家庭の事情で引退せざるをえなくなったという。そうして4年間バイトとして働いていたポケニューに、30歳で正社員として入社。実力の下地もあった為、1年足らずで編集長に就任し、現在に至る。

「まあ、だから芸能人の不祥事にあれだけ興奮できるんだろうね」
「劣等感だったんですね、あれ……」

 夢を諦めた叩き上げの編集長。
 あまりに意外な経歴に、眠気も吹き飛んだ。

「中村さんは、1年目からポケニューにいたんですか?」

 この質問に、中村さんは切ない笑みを浮かべた。不自然な沈黙が生まれ、思わず戸惑う。きわどい質問だったかもしれない。
 話題を変えようと次の言葉を考えたが、過不足ない台詞が降りてくるよりも早く、中村さんが口を開いた。

「僕は1年目だけ、取材部に所属していたんだ」

 中村さんは恥ずかしそうに早口で、自身の歴史を語り出した。
 玉木さんがポケニューに正社員として入社したその年、新卒として取材部配属になった中村さん。当初は強いジャーナリズム精神を宿していて、バイタリティ溢れる新人だったという。身に覚えのある感情である。
 しかし、入社して半年ほど経った頃、中村さんは思わぬ障壁に阻まれた。

「端的に言えば、僕の記事は僕にしか書けないものじゃなかったんだ」
「え……」
「取材とかインタビューしている時間は楽しかったんだ。でも、それをアウトプットするセンスがなかった。あの楽しかった時間を自分自身で文章化してみると、全然面白くない。ただの情報で止まっていて、読者の気持ちを動かす記事になっていなかったんだ。理想と現実のギャップがあまりに大きくて、完全に自信を失ったよ」

 もがき苦しんでいた中村さん。
 そんな彼に声をかけてきたのは玉木さんだ。社員としては同期だが、社歴と年齢は玉木さんの方が上。そんな複雑な関係がむしろ互いを惹きつけ、二人は部署は違えどよく連絡を取っていたという。

「来年から俺がポケニューの編集長になる。だから中村、俺の手伝いをしてくれないか。おまえが求めているものは、おそらくポケニューで手に入るぞ」

 玉木さんのこの誘いを、中村さんは藁をも掴む思いで受け入れた。そうして現在のポケニューツートップが完成したのだという。

「それで中村さんは、手に入れたんですか? 求めていたもの」
「うん、たぶんね。まず間違いなくあの頃より良い記事は書けるよ。でも今はポケニューが楽しいから、取材部に戻りたいとは、そんなには思ってないけどね」
「何だったんですか、中村さんに足りなかったもの」
「それはアレだよ。エモーションってやつだよ」

 聞き覚えのある単語を、中村さんは意味ありげに言い放った。
 中村さんの過去と、玉木さんの過去。新鮮で刺激的な情報ばかり仕入れた私の脳は、睡眠不足を忘れるほど快活に働いている。

 私にとっては玉木さんは、皮肉屋で意地の悪い上司。しかし中村さんにとっては、いなければ今の中村さんはなかった、と言っても過言でない尊敬する上司。明確になったその意識の差が不自然で、今一度玉木さんについて考える時間が必要だと心が訴えかける。
 最後に中村さんは独り言のように、こんな言葉を残した。

「自分の思い描いていた自分になるのって、実はものすごい大変なんだよねぇ」

      ***

 新卒は残業の管理も徹底されている。定時を十五分も過ぎると、玉木さんからの強烈な視線が向けられ、非常に居心地が悪くなるのだ。

 まだ陽のあるうちに会社を後にしても、すぐさま最寄駅への電車に乗り込んでしまうのだから、私もつまらない人間だ。誰もが羨む華やかなアフター5の過ごし方って、みんなどこで習得するのだろう。別にいらないけれど。

 同級生のチャットグループに呼びかけても、きっと反応は薄い。みんなまだ仕事だ。転職サイトからのメールも、今は確認する気にはならない。

 ふと、派手なデザインの中吊り広告が目に留まった。ミュージカルの宣伝らしいが、やたらと煽り文句が印字されていて見にくい。目にもうるさい広告だ。

『エモーショナルな体験がアナタをナイトメアに誘う』

 気取ったフォントで書かれたこの意味不明な1文。
 自然と連想されるのは、休憩時間の中村さんとの会話、そしてさらに前の玉木さんの台詞。

「それはアレだよ。エモーションってやつだよ」
「ユーザーが求めているのは知識じゃない、エモーションだ」

 結局のところ、エモーションとはどういう意味なのか。辞書サイトで調べてみた。
 情動・情緒・感動。つまりは心が強く揺れるほどの感情の動き、ということだろうか。ニュアンスとしては把握したものの、もう一歩先の理解には届いていない気がする。

 ニュースサイトに必要なエモーションとは、一体何なのか。

 改札を出て商店街を歩いていると、甘く香ばしい匂いに抗えず、焼き鳥屋に吸い寄せられる。盛り合わせとチップス、ごぼうサラダをつまみに、海外ドラマを見ながらビール。今の私、そんなエモーション。いや、たぶんこの使い方は違うな。

 寝不足だったこともあり、前日は布団に入ると即座に脳がシャットダウンした。目が覚めると、海外ドラマの登場人物の一員として大活躍する夢が、まるで昨日のことのように記憶に残っていた。あと1歩というところまで、殺人犯を追い詰めていたのに。

 朝の電車内にて、今度こそ転職エージェントからのメールを確認しようとスマホを取り出すも、指が自然とSNSのアイコンをタッチしてしまう。流れゆく人々の呟きや最新のニュースを眺める。その中のある投稿が、スクロールする指を止める。
 私の母校である新桜大学、その教授によるつい3時間前のものだ。

「仕事を褒められたいのなら、家事を一生懸命やればいい」

 文脈はわからないが、そこはかとなく嫌な印象を覚える一文である。どうやら不倫騒動の渦中にある姫宮麗花に対する発言らしい。
 姫宮麗花は先日の謝罪会見で、不倫に至った理由についてこう述べた。

「役者としての価値を認めてもらえたのが嬉しくて」

 会社役員である夫は姫宮麗花に女優の仕事をセーブするよう言いつけていた、との噂がある。真偽のほどは定かでないが、ここ数年露出が少なかったのは事実だ。不倫相手の舞台監督は、そんな彼女の求めていた言葉を与えたのかもしれない。

 大学教授の投稿は、姫宮麗花のこの言葉への批判だ。
 私は、この教授と面と向かって話したことはない。もちろん姫宮麗花とも、その夫とも不倫相手とも。私は彼らとはまるで無関係な存在だ。

 しかし、なんだこの不快感は。私は教授のこの意見に、腹が立ってたまらない。このご時世に、よりにもよってそれなりに地位のある人物が、こんな発言をするのか。
 朝から不快なものを見たと、胸に憤りが渦巻く。だがその刹那、頭の中の冷静な部分が私に気づかせる。これだ、これなんだと、脳細胞が弾ける。
 これが、エモーションなのだ。


 職場に着いてすぐ、深夜から朝までに配信された記事を探ってみる。

「あ……」
「ん、どうしたの蒼井さん」
「あ、いえ何でも……」

 トップページを更新中の中村さんが不思議そうに首を傾げた。
 大手新聞社の明報新聞デジタル版から、件の大学教授の投稿を批判的に書く記事が配信されていた。早速私はこの記事を、担当する国内ページに掲載してみる。

 教授の発言にある不快な要素。それを表現するなら、見出しはこうだ。
 新桜大教授が姫宮に女性蔑視発言?
 掲載した途端、無意識にため息が漏れた。こわばっていた肩からふっと力が抜ける。ひとまず私の中にあった気持ちの悪い感情は、少しは成仏させられた。
 さあ、これに続いてどんどん新しい記事を入れていかなければ。朝イチなので現在掲載されているのは古い記事ばかり。一仕事終えた、なんて言ってはいられないのだ。

「蒼井さんっ、新桜大教授の記事が……」

 中村さんが慌てた様子でそう告げたのは、教授の記事を掲載してから十分ほど経った頃。もしかしてまたミスをしてしまったか……と恐る恐る確認する。

「う、うわっ!」
 とんでもない勢いで、PV数が伸びていたのだ。ポケニューでも脇役的なポジションの国内ページとしては、異例の伸び方だ。

「これ、国内ページに置いておくのはもったいない。トップページに掲載してもいい?」
「は、はい、どうぞ!」

 このようにサブページで数字を伸ばした記事は、トップページに移行するのが通例だ。なぜならトップページの方が、圧倒的にユーザーの目に入る。サブページでヒットするほどポテンシャルのある記事は、トップではより輝くのだ。

 結果として新桜大教授を批判したその記事は、トップページでもぐんぐんとPV数を伸ばしていき、その日最も数字をとった記事となった。
 さらにSNSでもヒットワードランキング上位に「新桜大教授」が食い込み、昼や夕方のワイドショーでも取り上げられ、一大騒動へと発展。もちろんそれが私の掲載した記事から波及したかどうかは定かでない。私はその怒涛の展開に、ただただ目を回していた。

 中村さんや他の同僚の人たちに褒め称えられた。「この前のミスを取り返したね!」なんて声もかけられた。確かに、そういう意味では喜ばしいことかもしれない。
 それなのに、心の底から嬉しいと思えないのは、なぜだろう。


 週1回の面談の時間がやってきた。ただでさえ緊張するイベントなのに、唯一の癒しである中村さんは別件があるらしい。よって玉木さんとのマンツーマンとなってしまった。
 私の緊張とは裏腹に、玉木さんは上機嫌なように見える。

「いやーバズったね、教授の不適切発言。まさか謝罪会見まで開かれるとは。このムーブメント、蒼井くんの迅速な掲載が要因の一つだと思うよ。やったじゃん、初炎上」
「炎上って……私がやらかしたみたいじゃないですか」
「あぁ初じゃないか。信長の同級生でプチ炎上してたね」
「…………」

 パウ気味ですよ。思っても口にはしなかった。やはり一言多い男だ。

「それで、今どんな気分よ」
「どんなって……」
「自分の手で火をつけた問題が、数多くの人の目に触れるまで大きく燃え上がった。その一連の流れを見て、どう感じた?」

 値踏みするような目で、玉木さんは私を見つめる。
 彼が求めている答えは一体何なのか。頭があれやこれやと考えるものの、結局口から出たのは、ありのままの本音だった。

「……怖かったです、正直。罪悪感とかはないです。あの教授の発言は最低だったので、自業自得だとは思います。スカッともしました。ただ……私のちょっとした不快感から掲載した記事が今、日本中で膨れ上がるネガティブな感情の起因になったかと思うと、ゾッとします。みんな褒めてくれましたけど、素直には喜べませんでした」

 ポケニューから世界を良くしたい。
 しつこいほど自分に言い聞かせてきた野望だ。
 今、それに近しいことを達成したにもかかわらず、私の中に生まれたのは恐怖だった。なんと情けないことか。いざ世界を目の前にして私は、気圧されてしまったのだ。

 顔を上げると、どうしてか玉木さんは柔らかな笑みを浮かべていた。バカにするでも蔑むでもない、優しい表情。思いがけずドキリとする。

「俺らの仕事はね、ユーザーのエモーションを誘発することだ」

 玉木さんは朗々と語る。

「滾るエモーションは口に出さずにはいられなくなって、学校・職場・家庭・ネットなどあらゆる場所へ波及して、議論が生まれる。そうやって人々の心に刻まれる」

 そうして最後にこう締めた。

「意外と、やりがいありそうだろ」

 まるですべてを見透かしているかのような笑み。それがもう、たまらなく憎たらしい。そしてどうしようもなく悔しい。

 だから私は、この心のすべてがあなたに同調しているわけではないのだという大いなる抗いと妥協をもって、小さく小さく頷いた。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?