ツマ

ああだこうだ言いながら、ところがどっこい生きている。日々のあれこれについて。京都

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ああだこうだ言いながら、ところがどっこい生きている。日々のあれこれについて。京都

最近の記事

夏とプールとみたらし団子

寝癖も落ち着かないまま体操服に着替え、派手で悪趣味な柄のハンドタオルを首にかけたら、飛び出すように家を出る。中学生の頃、夏休みはほぼ毎日部活動に出ていた。家から歩いて10分くらいの距離にある母校は、地域では荒れた学校として煙たがられていた。校内を歩けばバットを持った男の子が割れた窓ガラスの前を闊歩する、金髪で濃いアイメイクの女の子は授業中に彼氏と通話をし始める、黒板には紙飛行機に消しゴムに色んなものが飛んできて授業は全く進まない。終いには退職時期を早めた教師が逃げるように去っ

    • 仲直りのしかた

      出会った時から夫はあまり多くを語る人ではなかった。夫はああだこうだ言われることが嫌いで、同じくらい誰かにああだこうだ言うことを嫌う。ご飯屋さんに行くと注文したメニューと違うものがよく届くという謎の不運さを持っているが、そんな時でも激昂することはない。あぁ間違わはったんやなぁと言ってそのまま食べ進め、最後あぁ美味しかった!と笑っている。どう考えてもあちらのミスだと言う時でさえ、それを指摘することは少ない。わたしはそういう場面でどうしても黙っていられない質なので、え?ほんまにそれ

      • 追いつけない鬼ごっこ

        仕事が終わり自宅へ帰っている最中、近所に住むおばあさんが前から歩いてきた。お孫さんがわたしと同じ小学校に通っていたので、顔見知りではあるものの、とっくに苗字も忘れてしまった。知っていることと言えば家の前にジャングルくらい植木鉢を並べていて、夕方になるといつも真白いモップみたいな犬と二人で散歩をしていることくらいである。 軽く挨拶をして通り過ぎようとしたら、あんた○○(旧姓)さんところの娘さんか?と声をかけられた。たしか昨年の終わりに会った時にも同じことを聞かれたなと思いつつ

        • かわいそうなひと

          (昨年の秋に書き始めたものだけどなかなかうまくまとまりませんで。ほんで気付いたら年も明けて、季節が変わって、春になっていました。なので季節のタイムラグが拭えません。すみません。) 北海道で雪が積もったというニュースが流れた。その日はわたしが住む京都でも、吐く息が白く見えるほど空気がキーンと冷えていた。一瞬訪れた秋はもう行ってしまわはったんやろか。おかげで衣替えがずっと変なところで止まっていて、積まれた厚手の服を見る度もやもやする。 最近入浴剤にハマっている。問答無用で汗が

        夏とプールとみたらし団子

          分かると分からない

          ちょっと暗い話になるのだが、子どもの頃、わたしは子どもが嫌いだった。あんたも子どもやんと言われたらそれまでだけど、もしかしたら精神的には少しだけ大人びている方だったのかもしれない。というのも、心の中で何かを考える時間は、同年代の友だちと比べて長かったように思うからだ。わたしの家は生まれた時から毎日両親は喧嘩ばかりしていたので、振り返ると心の中で思いを巡らせる時間がとても長くあった。何が原因で大人の喧嘩が始まるのかなんて、子どもだったわたしにはこれっぽっちも分からなくて、いっぱ

          分かると分からない

          おかえりなさいの匂い

          行ってきますと言うよりも、おかえりなさいと言うことの方が好きだ。小学生の頃、門限は夕方五時と決まっていた。友達と遊んで遊んで遊び尽くした後、いつも風の匂いを嗅ぎながら家に帰った。子どもの頃は考えたこともなかったけれどわたしの地元はけっこうな田舎らしく、風の匂いのベースにはいつも土の湿った匂いが感じられた。土の匂いが一番濃くなるのが農道。その農道を抜けて、友達と手を振って別れると、段々と見慣れた家々が近づいてくる。するとどこからとも無く、おかえりなさいの匂いがしてくる。斜め向か

          おかえりなさいの匂い

          オトナの階段

          なあ今日ジャズ喫茶行かへん?と夫に誘われた。間髪入れずに行こう!と返事をした。というのもわたしはちょうど新しい出会いを求めていたところだったからだ。先々月30歳になったわたしの今年のテーマは、フッ軽。今までのわたしは新しい好きを見つけるために飛び込んでいくというよりも、好きになったものを何度も何度も咀嚼して、味がなくなってもずっと口の中に入れているような感じだった。でも30歳を迎え、年を重ねていることをようやく自覚し始めた今年は、あまり怯えずに色々挑戦しようと決めたのだった。

          オトナの階段

          わたしは母を産んだのかしらん

          小さい頃、わたしと母と姉の三人で川の字になって寝ていた。右から母、姉、わたし。率先して端っこの布団を希望したのは、ひんやりした壁にくっついて眠るのが好きだったから。よく壁に頬や片方の足の裏だけをひっつけたりして、布団の中の熱を逃していた。ちなみに大人になった今でも変わらず同じようなことをして寝ている。 それから何年かして姉は結婚し、家を出て行った。あんなに喧嘩をしたけれど、いつでもわたしのニ、三歩前を歩いてくれていた姉がいなくなったことは、妹としてはかなり心細かった。遊びも

          わたしは母を産んだのかしらん

          パン工場

          わたしの住んでいる街、調べてみたら人口は約八万人らしい。その数が多いのか少ないのかよく分からなかったが、某政令指定都市出身の夫に言ったら、少な!!!と叫ばれた。少ないらしい。小学校の社会の授業で習った時点では約七万人だったので、増えたには増えたがそう多くはない。たしかに近所を歩けば大体見知った顔ばかりだ。それも若者ではない、十中八九お年寄り。特に目立った会話はしないけれど、静かに生存確認をし合う仲といったところだろうか。そんな小さな街での暮らしは無論あまり変わり映えの無い毎日

          パン工場

          みんな勝手に幸せになれ

          今年の夏はもうなんだか色々ひどかった。特に8月は、かろうじて人の形をした物体というくらいのところまで落ちてしまった。心も身体もポンコツで、毎日うんざりしながら過ごしていた。原因を考えてみるとおそらくそれは一つではなくて、そんなものを探してしまうと数年前の出来事から昨日のあれこれまで、全部数珠繋ぎのようにぽんぽんと出てきてしまう。というわけで生きたというより気付いたら生き抜いていた。そんな8月を過ごした。こういう状態になった時は必ず昔とある人から、あなたは悩むことが趣味なんだね

          みんな勝手に幸せになれ

          夏の夜の夢

          夕方六時頃、着地場所が定まらず家々にぶつかりながら飛んでいる暴れセミがいた。思わず、後ずさりをしてしまう。先日茶色のワンピースを着て出かけた時、セミが木と間違えて背中にくっついてきたらどうしようかと一日不安だった。鼓膜の奥の方をジリジリ揺らすかのような鳴き声は聞いているとこそばゆくなってくるし、どこまでが頭でどこからが腹なのかよく分からないその見た目も込みで、わたしはセミが苦手だ。こんな暑い日、本当なら真っ直ぐ家に帰りたいが、セミの襲来と比べれば遠回りなんて、なんて事はない。

          夏の夜の夢

          わたしが先生だった頃

          人生のおよそ六分の一にあたる約五年もの間、わたしは塾講師として働いていた。正確に言えば、塾講師のアルバイトだ。科目は英語たまに国語と社会で、下は小学二年生、上は高校二年生まで担当した。いまだに顔や名前を覚えているような子も沢山いて、夏の甲子園の時期になるとつい生徒の名前を探してしまう。先生のこと甲子園に連れてったるわと!宣言したあの子は、今どうしているだろうか。 夕方六時頃になると、校舎内は途端に騒がしくなる。学校終わりの生徒たちの多くは、まだ放課後に味わったのであろう熱気

          わたしが先生だった頃

          はじめまして、ツマです

          こんにちは。ツマといいます。 田んぼに囲まれた京都の田舎で、 同い年の夫と二人で暮らしています。 好きなことは色々あるけれど、 人と関わることが一番好きなのかもしれないと 最近気付いたところです。 同じ名前でTwitterもしています。 @諸事情により今はひみつ (←ちなみにTwitter社に決めてもらった なんの愛着もないアカウント名)です。 夫との日常メインで呟いています。 気軽に話しかけてもらえたら嬉しいです。 さて、noteを始めてみました。 noteってなんなんだ

          はじめまして、ツマです