見出し画像

#不登校 自分の言葉を伝えていますか?

私の息子は中学時代、不登校児でした。

彼は全身全霊で私に言葉にできない何かを訴えていたんだと思います。

息子が不登校児だった頃のことはこちらでまとめています。

息子の不登校 始まりから終わりまで


その経験を通して、私は気づいたことがありました。

それは私は自分の言葉で息子と向き合っていなかったということ。


先生の言葉、親の言葉

私が生きてきた時代のせいかもしれませんが、私の中では、先生や親の言葉は聞かなくてはいけないものとインプットされていました。

だから先生が「学校には来ないといけない」と言えば、何がなんでも行かせなければならないと思ったし、私の(当時、同居していた)親が「ゲームばっかりさせてたらダメでしょ」と言うと、ゲームの時間のルールを決めました。


私は旦那と離婚して、実家にお世話になっていたので、その後ろめたさもあったのだと思います。自分一人で、しっかり育てなきゃと・・・。


でも、ある時、気づきました。

それらすべてが自分の言葉ではないことに。


そして私は息子への伝え方を変えました。

たとえば

「明日、体操服で学校に行きなよ」から

「明日、体操服で来てって先生が言ってたよ」と。


中学3年から始まった給食

息子が通っていた中学校、2年生まではお弁当でした。でも中学3年生からは給食に変わりました。

そこで私は

「学校が給食になるから、○○が学校行って食べてくれたら、お母さん楽だわ~。まぁ、適当に食べるもの用意しとくから、好きに食べてね。」

と学校が始まる頃に伝えました。


その頃、息子との関係は改善されていたのですが、学校に行くのか行かないのか、そういった話題は避けていました。

でも、この言葉を伝えたいということを当時相談していたカウンセラーさんに伝えると「いいと思います!」と太鼓判を押していただいたのです。


私の言葉の主語を「私」にしただけなんですが、それだけで言葉の印象は大きく変わりますよね。

学校に行くか行かないかを決めるのは息子自身。

私が関係しているのはお昼ご飯をどうするかという問題のみ。

私が決めることではないから、学校に行かない場合のことも伝えておく。


そこに私が正直に思っている気持ちを付け加えて、正直に伝えただけ。


親からの言葉

同居している親は、息子の不登校を当然のようになかなか受け入れることができていませんでした。学校は当たり前に行くべき場所ですから、普通の反応だと思います。

だから「学校に行かせないと、この先どうなるか分からないよ」そんな言葉に一つ一つ反応して、最初は行かせなきゃいけないという思いに囚われていたのです。


でも、自分の思ったことを、私を主語にして伝えようと決めてからは親に何か言われても「そう思うなら、直接伝えて」と言うようにしたのです。

たとえば

「部屋で音楽聞くなら、夜はもう少し音を小さくしてほしい」

というようなことですね。


私自身の考え方の変化に付いてきていなかった母は、最初はブツブツ言っていましたが、、数回そのことを伝えると私にいろいろ言ってくることもなくなりました(笑)

親が結局どの程度、気持ちを伝えたのかは知りませんが・・・。


こうやって私は自分自身を身軽にしていきました。

親からのプレッシャー、先生からの圧力、他人からの視線など、いつの間にか自分自身に『親として、こうあるべき』という重い荷物を背負っていたんですよね・・・。

不登校児の親として生活していくうちに私は、息子と自分の関係よりも大事なものはない、ということに気づくことができたのです。


私が大事にするべきなのは、子どもたちであり、子どもたちの笑顔。


そのことだけを考えて、その時の気持ちに正直に言葉を発していたら、それが自分とは違う意見であっても、しっかり子どもは受け取ってくれます。


親が子どもと一緒にいた時間 = 子どもが親と一緒にいた時間

子どもは子どもなりに、親のことを見ていますし、分かってくれているものです。


今、悩まれている方も、少しずつ自分の気持ちと言葉に自信をもってみませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?