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“認められたい”願望で疲れちゃった話

最近、noteを書くことをさぼっている。
さぼっていたというより、書き出すことが何となく嫌で。
noteを開くことさえやめていた。


この“何となく嫌”が何なのか分からなくて、ずっとモヤモヤしていた。

ついこの間まで、あれだけ楽しく更新していたのに、どうしてぱたりと止めてしまったのだろう。

どうして前のように楽しめないのだろう。

考えれば考えるほど、ただ自分が楽に逃げているだけのように感じてしまって、余計にモヤモヤが増えてしまっていた。


でも、ふとしたときに、その“何となく嫌”の正体に気がついた。

その正体は、人に認められたいという願望。

いつの間にか、「楽しいから書く」ではなく「認められたいから書く」ということにシフトしてしまって、少しづつ“嫌”が溜まってしまっていたのだ。


考え方が変わってしまったきっかけは、Instagramの投稿を始めたこと。

投稿するからには、たくさんフォローしてもらいたいし、たくさんいいねをもらいたい。

そのためには、多くの人に嫌われないような文章を書かないといけない。

そう思って、当たり障りのないような文章を考えるようになった。


でもそんな文章って、嫌われはしないけど、好かれもしない文章だ。
表面だけ取り繕ったって、なにも面白くない。

届けたいのに、認められたいのに、自分の書く文章のつまらなさに気づいてしまって、余計にいやな気持ちになる。
なにより、嫌われないための文章を書こうとしたって、なにひとつ楽しくないのだ。


そんな、“認められたい願望”が大きくなりすぎるせいで、“書く”ことそのものが苦しいものになってしまった。

だから、これまで大好きだったnoteからも少し遠のいてしまったのだと思う。



「なんかしんどいな」と思ってから、1週間ほどnoteもInstagramも見るのをやめていた。

発信はもうやめてしまおうか。
でも、ここまで続けてたのにやめてもいいのかな…。

そんなふうにぐるぐると考えていた1週間。
その中で、救いだったのはやっぱり“note”だった。


私がなにも書いていない間も、過去の記事にだれかが“スキ”を押してくれる。

その通知が来るたび、心から「書く」ことを楽しんでいたときのnoteの題名が、スマホに表示される。

思ったことを書けばいい。
取り繕わなくていい。
好きに投稿すればいい。

そんな暖かい言葉を、読んでくれた方に、そして過去の自分にかけてもらった気がした。

「いいねをもらおうとする」ことで疲れていたはずなのに、「スキをもらう」ことでこんなにも心が元気になった。

すっごく不思議な気もするけど、これがnoteの良さなのかなと思う。


発信で疲れてしまって、1度noteからも離れて。
それで、改めてnoteって大好きな居場所なんだと気づいた。

もしまた他のSNSで疲れてしまっても、このnoteには帰って来ようと思う。


なんだかまとまらなくなってしまったので、この辺で終わります。
とりあえず伝えたいのは、noteはいいぞー!ってこと!



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