見出し画像

社交辞令が言えなくて。

わたしの中で「この人って大人だなぁ」と思う条件の中に、「社交辞令を使いこなせる」というのがある。

社交辞令を使いこなせる人というのは、大きく分けて2種類に分類できる。
学習機能が発達している人、すなわち後天的に社交辞令を身につけてきた人か、先天的に人間ができている人(社交辞令を気を使ったことによる生成物としてではなく、割と素に近い状態でそういうことが言えちゃう人)なんじゃないかなと思う。

わたしは社交辞令がうまく出てこない人間で、つまり学習機能もいまひとつ高くなく、飾った言葉がなかなか出てこない(頭の回転が残念ながらあまり高くない上に、人間もそこまでできていない)人間なわけです。
わたしが人見知りな原因の1つかも。
社交的に振る舞うためのスキルが低いために腰がひけてしまうわけですね。

ということは、社交辞令が使いこなせるようになれば、人見知りも克服できるのかもしれないなぁ、と、ぼんやり思う。
少なくとも、ハードルを少し下げられるのかもしれない。

話は少し変わるが、数年前に英語学習のセミナーに参加した。
そのセミナーでは学習法のセミナーでありながら、方法論だけではなく、欧米のネイティヴスピーカーがどういう考えの下に話の組み立てをするのかとか、スモールトークの果たす役割とか、そういう話がたくさん聞けて有益だった。ビジネス英語のセミナーだったので、転職の多い欧米で手短に相手との距離を縮め信頼を築くには本題だけじゃなくスモールトークが大事とか、部下にポジティブな気持ちで働いてもらうための考え方・言い方とか、そういうこと。
そのお陰か、英語でやりとりするときの方が日本語よりも社交辞令が出てきやすい。
セミナーのお陰なのか、そもそも日本語よりも英語の方が言語あるいは文化的に社交辞令向きだからなのかはわからないけど。

社交辞令が使えないと困るシーンも大人になるとあるわけで、使いこなせるようになりたい。一方で、自分だけが使えればいいわけではないというのも難しいところ。
つまり相手に適度に「社交辞令」と取ってもらえないと、ただの思わせぶりな人になってしまう恐れもあるわけで。

…それは困るな。うん、困る。
結局のところ相手の反応を見て理解度を測りながら適宜使い分けるという、至極当たり前でありながら実は高度なコミュニケーション能力が問われるのですね。

ちなみにわたしは社交辞令を受け取る感度もあまりよくなくて、相手の言うことを真に受けてしまい、しばらく経ってから「あ、あれ社交辞令だったのか」と気づくことがままあります。
大人になるって大変ね。

#英語 #大人になるって #コミュニケーション

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?