何かを終えること

つくづく思うことがある。
何事も、始めるよりも辞めるほうがエネルギーがいる。
といえども、一般的にそういうものなのか、自分にその傾向があるだけなのかの線引きが難しい部分でもある。
あくまでも自分の場合だが、前提として「とにかく気持ちの切り替えが苦手」である。
何かあった時に、いつまでも繰り返し思い出してその時のことをああでもない、こうでもない、と繰り返し意味づけてしまう。
はじめは「相手の非」を思い悔しいやら悲しいやらの気持ちを、半分永遠に感じられるような感覚で繰り返す。
でも、そこで終われない。
更に何日も何時間も空論をこねくり回した結果、「自分の至らない点が見えてきた」「相手にも事情があったんじゃないか」と思い、自責し始める。
自分の未熟さゆえにこうなってしまったのではないかと、対象もなく怯えだす。
こうなると、事実を確認しようのない問題なので、頭の回転は永久に終わらない。

そして…ここまでの状況になるのはいつも「辞める時」だ。
辞めたいほどの理由があるにも関わらず(相手の非)、そのほかのことも気になりだし(自責)、もう辞めようが辞めまいが自分の中の気持ちはめちゃめちゃになっている。
どっちの決断にも身を割かれる。
人は意外と人に興味がない、とは言うけれど、それは全くの他人事の場合なのではないかとさえ思う。
「辞める」と言われた相手が他人事だと思ってくれるかというと、そうとも限らないからだ。
お互いがお互い、「事情」と「気持ち」をもっている。
当たり前で、素晴らしいことであるがゆえに苦しいことでもある。
相手も相手で揺るがされることではあるはずだ。
一方で、「始めるとき」というのはたいていが前向きな気持ちである。
相手に興味があったとか、同じ志があるよという意味だとか、潜在的にポジティブに受け取りやすい(勿論、その裏に利害一致しているからという事情があるのは前提だが)。
そう思うと、辞めるというのがエネルギーを要するのになんとなく納得がいった。

書き終えて気付いたが…
こうやって空論をこねくり回して、今も自分を納得させているところでもある。