見出し画像

東京へ来てから初めてのバイト

冷蔵庫のすぐ側にデスクトップのパソコンを置いているのだけど、フワーンフワーンフワーンフワーンフワーンフワーンフワーンフワーンフワーンフワーンフワーンフワーンという稼働音がいつも気になる。仕事をしてても、本を読んでても、こたつに潜ってても。一定のリズムで鳴り響くこの妙な稼働音は泣き声のようにも聴こえてきて、やたらとかまってほしそうなのだ。冷蔵庫がかまってほしがってると思ったら腹が立つし耳を傾けていると別の時空に吸い込まれそうになる。吸い込まれた先に銀河の果てを思い浮かべ、こんなわたしを真っ黒な宇宙に放り込んでこいつはどうする気なんだろうと考える。

こんなうるさい冷蔵庫と共に暮らし始めてはや3ヶ月。わたしは海と山に囲まれた神奈川の田舎町から東京へやってきた。東京でひとり暮らしなんてできるのだろうかと、引っ越す前は不安で仕方がなかった。

そもそも家賃を払えるのだろうか。いや払えないか。なけなしの貯金を食いつぶしながらバイト先を探すことに。30歳バツイチはじめてのひとり暮らし。

***

引越してきて1ヶ月。良さげなバイトを見つけた。

八百屋だ。八百屋って東京にはけっこうあるけど田舎には意外とない。個人商店はイオンや大手のスーパーに吸収されてほとんど絶滅に近いから。だからこそ八百屋はわたしの目に魅力的に映った。
そんな八百屋の求人サイトの募集要項には、こんな記載が。

「野菜を詰めるだけ!難しいことはないので誰にでもできます。アットホームな職場で怒る人はひとりもいません♪」

今思えば絶対に疑うべきだった。

まず求人に「アットホームな職場」と書かれている場合、(経験上)なにかしらの問題を抱えていることが多い。アットホームな職場で人間関係が良好だったら人の入れ替わりが激しいわけがないし、むしろ誰も辞めたくないはず!

「怒る人はひとりもいません♪」という文言も不自然すぎる。

しかし、わたしは怒られるのが泣くほど嫌いなので、怒る人がいなくて簡単な仕事なら言うことないじゃん家から近いし!と、秒速で食いついてしまった。ライターの仕事もなんとか必死にやっているというのに、厳しいバイトなんて絶対にしたくない。心の底から怒られたくない。

結果、始めて1ヶ月で辞めようと思った。

まず朝に野菜の荷下ろしがあるのだが、2tトラックにぎゅうぎゅうに積まれている野菜のダンボール箱たちを店の前に降さなければいけない。自分の身長よりはるかに高いところに積まれている野菜も降ろすので、かなり危険!三つ葉とかミョウガなどの薬味系の葉ものなら小さな発泡スチロールに入っていてまだ軽いが、大根やキャベツ、にんじん、じゃがいもだった場合かなりの重さがある。5kgは余裕で超えてる。うちの猫よりもぜんぜん重い。

荷下ろしは2人で行う。トラックから箱を降ろす側と、トラックの下で箱を受け取る側。ただ、これだけ重いと降す側も危ないし、下で構えてる受け取り側も危ない。手が滑ったらどちらも確実に怪我をしてしまう。

しかし、そこでもたついてると、はやくおろしてー、と店長の苛立った声が聞こえてくるため十分に注意をしながら慎重に、かつスピィーディーにやらなければいけないのだ。(新人には無理だろ!)筋肉量が圧倒的に少ない細身の女が腕をガクガク震わせて大量の野菜を下ろすよりも、力のあるあんたがやったほうが時間短縮だろとも思うが、作業中はそこにいる全員が野菜をおろすことに集中しているため、そんなふうにイラついてる暇もない。

汗だくになりながら荷下ろしを済ませると、すぐにポップを貼ったり野菜の品出しの任務が。開店時間が近付くにつれて「開店まであと10分」「あと5分」と、店長から恐怖のカウントダウンがはじまる。この瞬間(ああ試されているな)と感じ、わたしは腹が立ちながらもなぜだか闘志に燃えていた。

店が開店するとお客さんはいっせいに店内へなだれこんでくる。そして、お客さんがレジに並んだらすぐに会計をしてあげなきゃならない。しかも品出しも同時並行でやる必要があるので、野菜を並べながらレジを常にちらちらチェック。

ちょっと気を抜くとレジはすぐに長蛇の列が。3人以上お客さんが並ぶと、レジ並んでるよーとまたもや店長の声。野菜を袋詰めしながら明らかに苛立っている。品出しを中断し、慌ててレジのもとへ駆けつけて何事もなかったかのように、(わたし品出しなんてしてませんけど?)というような顔をしてお客さんの会計を行うのが日々の業務の一部だ。

こんな肉体労働なうえにマルチタスクなバイトだったなんて知らなかった。なんで言ってくれないんだよ。「怒る人はひとりもいません♪」も、初日で大嘘だということがわかり、バイトを始めて1ヶ月半くらいは毎日のように怒られていた。30歳になって毎日人に怒られる人生は想像もしていなかった。

しかしこのバイトのいいところは、なんといってもお客さん。お客さんがとにかくみんな優しい。

世間話もしたりして、買った野菜のレシピを教えてくれる人なんかもたまにいる。「柿は熟しててもぜんぜん使えるわよ♡熟した柿はね、とんかつのソースに使うと美味しいんだから!1度試してみて〜」と、常連であろうお姉さまが教えてくれた。
こんな時バイトをしていてよかったなと思う。家の中でひとり仕事をしていると、家から一歩も出ず、人と全く話さないこともある。きっとバイトをしていなかったら丸一日一度も口を開くこともないまま、口内がねちゃねちゃになっていること間違いない。在宅フリーランスにとって、人と何気ない会話ができるのはめちゃくちゃありがたいことなのだ。

わたしはバイトが基本的にあまり続かないけど、ひとまずはこのバイトをやってみることにする。ひとまずは。そして、野菜をもりもり食べて健康になりたい。野菜を食べていればとりあえず人は死なないんじゃないかなと思っているから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?