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絶対評価黙示録

子供の頃から劣等感の塊だったので、自分より下の人間を探すのに躍起になっていた。

自分より劣っている人間がいれば、自分は目をつけられずにすむ。いじめられなくてすむ。

だから、誰か1人でも自分より駄目な人間がいると心底ほっとした。

大人になってからもそれは変わらず、会社で自分より仕事が出来ない人間がいれば安心し、街に出れば自分より太っていたりださく見える人を探して「あの人よりはましだ」と自分に言い聞かせた。

常に、誰かと自分を比べていた。

家でも学校でも普段の生活でも、誰かに比べられる事が多かったからだと思う。

それはライターになってからも同じで、ネットや飲み会で知り合ったライター仲間と自分を常に比べて一喜一憂していた。

「あの人はあんな大きな仕事をした。大々的に名前が載ってる。私だって頑張ってるのにそんな扱いして貰ってない。ずるい!」 と号泣した事もある。

負けず嫌いと言えば聞こえは良いけど、そうやって誰かと自分を比較しないと自分に自信が持てなかった。

旦那には「相対評価はやめて絶対評価にした方がいいよ」と諭されたけど、自分の中にその根っこになるものが何もないように感じられて、今いちピンと来なかった。

変わり始めたのは、一般文芸で小説を出してからだと思う。

複数人で一本のゲームのシナリオを担当するライターの仕事と違い、全て自分で書き上げる。当然評価も自分に返ってくる。

そして、今まで周りに聞かされていた「ゲームシナリオライターの未来予想図」と全く違うルートがある事も知った。

なんだか、全てのピースがようやく綺麗に嵌まった気がした。

周りが気にならないといえば嘘ではないけど、自分が今いる世界で評価されないと感じるのなら、別の世界に行けばいいんだと気づいた。

いつか自分のライバルは過去の自分自身だと言えるくらいになれたらいいなと思う。

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