どうしてあの時

自閉症のお子さんを持つお母さんのブログを読んだ。

自転車に上手く乗れない息子さんのためにOTでゆっくりと、彼のペースで指導をしてもらい、ようやく乗る事が出来たという記事だった。

こんな風に優しさに溢れた記事を読む度につらくなる。

私も自転車、小学校にあがる寸前まで補助輪なしで乗れなかったよ。

うちは車がなくて、自転車に乗って家族で遠出するし、

母親は妹達を乗せて運転するから私はひとりで補助輪なしの自転車に乗れないと困る。

だから父親が一日かけて特訓した。乗れるまで。

体はクタクタだし全然上手く行かないし、怖いし、しんどかった。

父親が休憩しようと自転車を片付けようとしたのでついていったら「勝手にやめるな!」と倉庫に閉じ込められた。

父も恐らく発達障害があって言葉で上手く自分の気持ちを伝えられないし、私も言葉が遅く、自分の考えを上手く伝えられない。だから普段からよく殴られたり怒鳴られたりしていた。

仕方がなかった、あの時はどうしようもなかった。

今みたいに発達障害が一般的ではなかったし、両親が私をどんくさい、何も出来ないぼんやりした子だと罵るのも仕方がなかった。

でも、ブログの男の子みたいに、私の特性を理解してくれて、優しく丁寧に教えて貰えるような環境だったら。

私は洋服のボタンを留めるのすら苦労するような不器用な人間ではなく、

ジョギングですぐ捻挫しそうになるようないびつな走り方をするような人間でもなく、

上手く喋れずにどもるような人間でもなく、

数学の正の数負の数が理解出来ずに挫折するような人間でもなかったんじゃなく、

接客業のアルバイトで何をしていいか狼狽えて棒立ちになるような人間でもなかったんじゃないかと、

温かいまなざしに溢れる育児ブログを読む度に思って悲しくなる。

発達支援センターに相談に行って知ったけれど、発達障害から来る不器用さを矯正してくれるようなOTは子供向けしかないそうだ。

つまりもう、どうしようもない。

大人になってから取り戻せるものはあまりにも少ない。

誰にもどうしようもなかったからこそ、誰を恨めばいいのか分からないのはつらい。


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