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よみかきほどほど(近況)

・髪を切った。より正確には、髪を切ってもらった。髪を切る専用のスペースに髪を切る専門の人が常駐しているという事実は、現代社会の面白い点の一つだ。散髪中はタブレットを貸してもらえるので、毎月『ダ・ヴィンチ』を読むことにしている。隅から隅まで目を通すことは難しいが、気になる記事は概ね読み切れるのでかなりありがたい。頭が軽くなる分、情報を詰め込んで帰るのである。この等価交換にはエルリック兄弟もニッコリだろう。

・散髪の後には服とメガネを買いに行った。僕は昔から買い物嫌いで、ファッションにも極めて疎いから、身に着けるものを選ぶのははっきり言って苦痛なのだが、裸で生きるのは流石に御免だ。とにかく無難そうな服を選んで適当に買って帰ったはいいものの、家に帰って袋から出してみると、どうもコレジャナイ感が拭えない。しかし自分の感覚自体があてにならないから、コレジャナイワケジャナイ可能性もあるのが難しいところだ。メガネはどう頑張っても「ガリ勉くん」と「サブカルくん」の二択だったので、「サブカルくん」を適当に選んだ。今はただ、明日以降の自分がまともな人間に見えることを祈るのみである。まともじゃなければ「まともじゃないよ」とご指摘を賜りたい。

・そういえば数日前の夜にちょっとした記事を書いたのだが、翌朝読み返したら無性に恥ずかしくなり、慌てて下書きに戻した。ちょっと力が入るとすぐに「うまいこと言いたい病」の症状が現れてしまうので困っている。しかも結びのバリエーションが貧弱なので、いつも「僕も僕なりにがんばるぞ!!」というような内容で締めてしまうのだ。節目の記事ならまだいいけれども、普段からこんな感じだとあまりにも自意識過剰が過ぎる。こんなところに駄文を投稿している時点で人目を気にしても手遅れだが、肥大した自意識で読み手に圧力をかけ続けるのもいかがなものかと思うので、程々にしておきたい。

・そもそもこのアカウントの目的は、定期的なアウトプットを自分に課して文章力を高めつつインプットの質を向上させることが半分、纏まらない思考を言語化してスッキリすることが半分である。だから面白い文章を書こうと工夫するのは悪いことではないし、自己満足の自分語りも大いに結構だけれど、やりすぎてしまうと僕が耐えられる恥ずかしさの天井をぶち抜いてしまう。まず「絵に描いた餅」というアカウント名の時点でかなり恥ずかしいのだ。そろそろ変えたい。

・インプットと言えば、先程まで『新釈 走れメロス 他四篇』(著:森見登美彦)を読んでいた。森見氏の小説に登場する若者たちはいつも愚かで愛らしくて、京都の腐れ大学生の一人である僕はしばしば彼らの生き様に感銘を受けたり自分を重ねたりしている。しかし一方で、僕はどうやっても物語の中の登場人物にはなれず、また森見氏にもなれない。退廃的な学生生活に憧れて腐った先の責任は自分で背負うしかないのだ。『四畳半神話大系』は、サークル選びを間違えたかもしれないと悩んでいた僕を確かに救ったけれども、だからといって「我々がもつ不可能性」が就職先を決めてくれるわけではないし、就職せずに小説家になれるわけでもない。理想の京都にのめり込んで現実を見失わないようにと、改めて自分に釘を刺しておく。

・今年から毎月読書感想文を書いてみるのはどうだろうかと思案している。読んだ本の感想はツイッターに投稿しているのだが、140字だと読んでいなくても書けるような浅い内容にしかならず、意義が薄いような気がしているのだ。1冊を選んで1000~2000字程度でじっくり本の内容と向き合う経験もしておいた方がいいかもしれない。……などと言ってみたはいいものの、月末は慌ただしくなりがちだから、とてもそんな余裕はないかもしれない。

・気付けば1月ももう終わりである。諸般の事情で大量に溜め込んでいる餅を食べ続けているので、ずっと正月気分が抜けないようだ。だいたい餅という優れた食材は、正月に封じ込めておくには惜しい気がする。彼はもっと広い世界に羽ばたいていくポテンシャルを秘めた存在ではなかろうか。人々が夏でも餅を食べるようになれば、「盆と正月が同時に来たよう」という表現は、食卓で容易に現実となる……。いよいよどうでもよくなってきたので、今日はここまで。