日記_作中作面白くない問題

 作中作面白くない問題、すなわち小説や映画等の創作物に登場する小説や歌等の創作物が面白くなかったり、魅力がなかったり、説得力にがないことがあるのは一体どういうことなのか。作品の本筋を多層的に深めるためにあるはずなのに。
 この問題にあてはまらないものももちろん多い。けれども、その作品自体は面白いのに作中作は微妙な作品が、妙に多い(気がする)。作品自体が微妙で、作中作も微妙なものは言わずもがな。
 具体例と考えられる原因を挙げてみる。憶測だから、結論もなにもない。

具体的に挙げてみる。

・漫画『響_小説家になる方法』
 天才女子高生「響」が、デビュー作で芥川賞と直木賞を同時受賞する話。この芥川賞と直木賞を同時受賞する物語については、あらすじと文体が素晴らしいということしか描かれない。読んだ周りの大人の反応を描くことで、その素晴らしさを示しているつもりらしいが、全く魅力が伝わらない。それゆえ、響が天才であることも何を以て天才なのかわからず、ただのエキセントリックな少女になってしまっている。作者が、エキセントリックな行動をとっていれば天才と考えているのかと疑いたくなる。作中作の魅力のなさが、作品全体に致命的に影響している。
(そもそも登場人物の作り込みも甘いし、たまに出てくる取ってつけたような純文オマージュもなんとも嫌な味を出してる。とにかくわたしには合わなかった、とも言える。)

・映画『BECK』
  ふつうの高校生が、ひょんなことからバンドを組むことになると、実は天才ボーカルだったというような話。この天才ボーカル高校生を佐藤健が演じていたのだが、歌唱シーンは、なんと、すべて無音。描けないものは描かない、というのは潔い。小学生のわたしはだいぶ衝撃を受けた。たぶん作中作面白くない問題との出会いだった。

・漫画『バクマン』
 途中までしか読んでないけれど。作中作面白くない問題の代表作と言っていいくらい有名。ほんとにそれでジャンプのランキングいけます?と思わざるを得ない『響』ほどではないにせよ、作品全体に対してもノイズになっていると思う。

 以下、原因を考えてみる。

・わたしが作中作だと斜に構えているから
→ないと思う。基本的にどんなものも、少しでも素敵なところがあればそこに目を向けるように
している。

・作中作は一部しか示されないから。
→あり得る。一部しか示されないのには、そのためのスペースがない場合(本筋の流れが悪くなるようなものもこちらに含まれる)と、設定の都合上全てを示すことはできない場合に大別できる。前者の場合には、一部であっても魅力的にもなり得るが、わたしの読解が追いつかなかったり、一部分で魅力をじゅうぶんに発揮するほど練り上げられていなかったりする。後者の場合には、作者の力量を越えたものは描けないから、魅力的にはなり得ないし、描写をサボることで描いた体をとっているのがわたしにとっては鼻につく。

・作中作でそこまで面白いものなら、ふつうにひとつの作品としたほうが良いから
→あり得る。作り手目線では、意識してでも無意識でも当然のことだろう。読み手としても、魅力的な作中作を、ひとつの作品としてまるごと読めないのはかなしい。

 ということで。考えられる原因を挙げながら、この、「ひとつの作品としてまるごと読めないのはかなしい」に尽きるように思えてきた。つまり、作中作はどれだけ魅力的であろうと、その作品を読めないのだから、魅力の大小はあまり問題ではない。とはいえ、最低限の説得力は持っていてくれないと、本来の作品自体に悪影響がある。わたしにとってはこんな認識にいまのところ落ち着いた。




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