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博士課程に進学した理由を、改めて考えてみて

「あさぎさんは、どうして博士課程に進学したんですか」

最近、学部生や修士生と話をする機会がたまたま続けてあって、こんなことをよく聞かれるようになった。博士課程に入りたての頃はあまり聞かれなかったので、3年目になったいまの私からすると、ちょっと”今さら”な感じだ。

はじめて聞かれたときは、正直、うまく答えられなかった。

「あれ、そういえばなんでだっけな」

なんて素で言ってしまって、相手の後輩を笑わせた。

その場では正直、なんと答えたか思い出せない。
後輩とのzoomを切ってから、しばらく「どうして博士課程に来たのか」の理由を考えていた。

博士課程進学を目指すと本格的に決めたのは、修士課程1年目の夏だったように思う。

前期、博士課程進学に必要な授業に全然ついていけず、本当に進学できるかどうかもわからないのに決意したのは、”経済”に対する熱い気持ちのようなものからだった。

この社会をどうにかしたい、みんながよりよく暮らせるお手伝いを、微力ながらしたい、的な。

人が好き、というのは、幼いころからの私の特性だったように思う。
なんでだろう、いろいろ嫌な人もあるけど、総体として人間が好きかって聞かれると、好きだなあ、と思う。

人が好きだから、その感情の機微が丁寧に表現された、小説も好き。演劇も好き。
で、いい人にはいい暮らしをしていてほしい!な、お節介精神で経済学を学び始めた。

そうした”熱い気持ち”は今でも持ってはいる。
でも、今になって冷静に考えてみると、進学理由として大々的に掲げていた”熱い気持ち”は、第一の理由じゃない気がする。
実際、掲げていた”熱い気持ち”と、取り組んでいたことには微妙に、でも大きな差が存在していて、よく考えれば考えるほど、自分でも矛盾に気づかないわけにはいかなかった。


じゃあ、なんで進学したんだろう。答えは意外とすぐに思い至った。

ここの、大学院で出会った人たちが大好きなのだ。

彼・彼女らは、ちょっと変わり者で、ひとクセもふたクセもあったりする。
でも、自分の興味関心に一直線で、ひん曲がったところがなく、生き生きとしている。

先輩その1は、厳しくて厳しくて、出来ない私のことをめちゃくちゃ叱った。でも、毎日私が帰るまで勉強に付き合ってくれた。いつも、誰よりも早く研究室へ来ていて、留学のための英語だって毎日コツコツ頑張っていた。


先輩その2は、先輩その1とよく数学の話をしていた。誰も入れない、二人だけの共通の脳内黒板を使って、阿吽の呼吸で議論していた。「これがこうで、こうですよね」「そうそうそう」ーー周りにはさっぱりわからない内容を、こちらにもなるべくかみ砕いて説明してくれていた。時には身近な面白いたとえ話で、ある時はホワイトボードを使っての鮮やかな証明で、物事を教え、”魅せて”くれた。

この”先輩その2”が後に恋人となるとは、あの頃全く予想していなかったけれど。
研究というか、知的好奇心を満たすものが大好きで、様々な疑問にまっすぐ向かい合う彼の姿勢に、いつも学ばされている。


年の近い先生は、口が悪くて、言動がキツい。でも自分の研究にも、超ストイック。生産性の塊のような人で、だらっとしている姿なんて想像できない。「良い研究をしよう」という意思がすごいのだ。ガンガン前に進んでいこうとする姿勢に、こちらまで気持ちが引き締まる。


そして、指導教官の先生。
優しくて、人情味あふれる人だけれど、研究に関してはビシっと信念を持っている人。いつだって、この先生に会うとなんだか元気が出てくる。のん兵衛なのが玉に瑕で、もうちょっとお酒控えた方がいいんじゃないかなあなんて勝手に思っている。


他にも、面白くてちょっとクレイジーで、素敵な人たちがたくさん。
先輩も同期も後輩も、先生方も、みんな好きなのだ。おまけに、よその大学や機関の人たちだって好き。

みんな、自分のやりたいことを深めようと日々鍛錬を怠らない人たちだ。
互いに切磋琢磨しあうことを前提に、相手の落ち度を指摘し合って、論を磨いていく人たち。

この”ひたむきさ”や”純度”が、私がこれまでのどの場所で出会った人たちよりも高いのだ。

歳とか立場とか、そんなものを飛び越えて、忖度なく議論して、指摘し合う。”論”でもって殴り合いをするのは、「良い研究を」の一心から。「上司のため」とか、何かの都合とかじゃない。この精神、ちょっとスポーツに似ているかもしれない。(こんな単純なキレイな世界とは言い切れないところもあるようだ、というのは察してきたけれどね)

こんな人たちが好きで、かっこよくて、憧れで。
こういう人たちのそばにいたい、って思ったから、私は研究者を目指し始めたんだなあ、と思った。

”研究”そのものは、そこそこ、なんだかんだ、好き。
「好き!!!」ほどのエネルギーは、ない。そのことに、負い目のようなものを感じていた。

好きな、自分の研究に対して語る、彼・彼女らは、とても生き生きしていて、心底楽しそうで。
その姿が好きで、そんな人たちと一緒にいたくて。で、あわよくば自分もそんな存在になりたかったのかもしれない。夢中になれる何かを、私も欲しかったのかもしれない。

博士課程3年目。学部時代から数えると、経済学をやり続けて9年目になる。
それでもやっぱり、研究や経済学は、そこそこ、なんだかんだ、好き。やっぱり、彼・彼女らのような「好き!!!」とは違う。

けれど、今はもう、そのことに負い目の感じていない。
この私にだって、ううん、この私だからこそできることがあるんじゃないかな、なんて気すらうっすらとしている。

それに、気づいちゃったのだ。


「どうして博士課程に進学したんですか」の問いに、「こんな素敵な人たちがいてね、そういう人のいるところで頑張りたくなっちゃったの」なんて言って、あんな人がいてね、こんな人がいてね、って話す私の顔。

たぶん、あの彼・彼女らと同じ、「好き!!!」の顔をしてる。

アルバイトなどで他の”社会”を少し覗いてみたりして、それぞれの良さがあるなあ、と噛みしめた上で、やっぱりここがいいなあ、と思う。
人が好きな私がたどり着く先は、やっぱり”人が好き”で、それで身を置く場所を選んでいるらしい。

とはいえ、ここでの生活は順風満帆じゃない。うまくいかない日も、落ち込むことも、しょっちゅうだ。実績出さなきゃ、の焦りは本当、なかなかにしんどい。

それでも。
「こういう人たち一緒にいたい」そう思える存在にたくさん出会えて、一緒に何かをやったり、議論してフルボッコにされて、一生懸命うんうん唸ったり。

こんな毎日を過ごせていることは、私の幸せの形なのかもしれない。


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