#雨
窓の外から、しとしとと音がする。
長すぎる今年の梅雨が明けるのはもうしばらく先のことだった。そんなことはまだ知らず、変わりやすい天気予報の晴れマークを見てはぬか喜びを繰り返していた。せっかくの4連休だというのに、やっぱりあいにくの空模様だ。
「今日は家で過ごそう」
わかりやすくガックリと肩を落とす、お散歩好きの彼。
遠出をするつもりなんて元からなかったけれど、「一切どこにも行かない」の選択肢は彼の頭の中にはなかったらしい。彼はむくれた顔のままスマホアプリで雨雲レーダーを開き、真ん中が赤い雨雲が迫ってきているのをみて、しぶしぶ「わかった」とうなずいた。
*
椅子に座り、読みかけのまま長らく放置していた本を開く。
顔を上げると、寝っ転がっている彼の横顔が見える。彼は仰向けになって、伸ばした手の先にあるスマホを見ている。きっとネットサーフィンをしているんだろうけど、なんだか自撮りをしているみたいで、面白い。
*
窓の外から聞こえてくる雨音が、少し強くなった。
雨音と、冷房が控えめに風を送る音。
たまに私が本のページをめくる音と、彼が体勢を変えた拍子にきしむベッドの音。
好きな人がすぐ近くにいるのに、ドキドキよりも安心感が勝る。
家族、って、こういうものなのかもしれない。
なんて、ふと思う。
小さい頃からずっと、私も彼のように外が好きだった。
いや、私の場合は外が好きなんじゃなくて、家が嫌だった。
一人っ子な上に、母親は忙しくてかまってくれない。時間もたっぷりあったから、今のように積読なんて全然なかった。手元には、何度も何度も読んだ本ばかり。
たいくつ、つまんない。
大学生になって、母親と完全にそりが合わなくなってしまい、おうち嫌いはますますひどく、苦しいものとなった。大雨や強風の日だって、家にいるのが嫌で、結構出かけていたように思う。
その一方で、”おうちでのんびり”への憧れはどんどん強くなっていった。
自由にのびのび、まったり過ごすせる、居心地のいいおうちが欲しかった。雨音を聞きながら、ゆったり読書ができるようなおうちが欲しかった。自分を受け入れてくれる、攻撃されないおうちが欲しかった。喉から手が出るほど、安らぎが欲しかった。
それがいま、叶っている。
ここは私の家じゃなくて、彼の家だけれど。
ちょっと汚いけど居心地のいい空間で、安らぐ人と一緒に、雨音を聞きながら読書。
この静かさも、ゆったりと流れる時間も、ずっとずっと続いて欲しい。
この何気ない幸せを、真正面から受け止めようとすると涙が出そうで、だからなんてことないってフリを自分で自分にしながら、物語の世界に入り込んだ。
*
「ねえ、はな」
彼の声に「んー?」と返事をする。本、ちょうどいいところなんだけどな。
「ねえってば」
仕方ないなあ、と顔をあげる。彼がiPadをこちらに差し出す。いつの間にか、スマホをiPadに変えてネットサーフィンしていたらしい。
みると、Wikipediaの『日本三大一覧』のページがあった。
「俺もうこれ覚えたから。クイズ出して!」
しょうがないなあ。しおりを挟んで、本を閉じる。
iPadを受け取り、適当にスクロールして、目に止まったものを読む。
「じゃあね……日本三大カルスト地形は?」
「………ちょっと待って、もう一回言って」
「”カルスト地形”。知らないんでしょ」
「い、いや知ってるよ。あれでしょ、あっと、ど忘れ、ど忘れしたわ」
全部覚えたなんてのは当然嘘で、単に一緒にクイズしたかっただけらしい。
答えを言って、ついでに”カルスト地形”の長い長い説明文もかみっかみになりながら読む。
「さっぱりわかんね」
「私もわからん」
笑い合って、次の問題を出す。途中で出題者と解答者を交換して、『世界三大一覧』に移った。ちなみに、世界三大スープは4種類あるらしい。
気づくと1時間以上もクイズを出し合っていた。
笑ったり悔しがったり、三大って言ってるのに4つあるのはおかしい!と文句を言ったり。さっきとは打って変わって、にぎやかだ。雨音やクーラーの音なんて、ちょっとした笑い声で簡単にかき消される。
これはこれで、安らぎ。
静かな時間も、しょうもないことで笑う時間も、どっちも甲乙付け難い。
*
「クイズ、飽きたー。買い物いこーよ」
さっさか用意を始める彼に、「ちょっと待って」と言いながら、スマホで雨雲レーダーを見る。ちょっとは雨脚が弱まりそうだ。
「はやくー」
早くもお外が恋しいらしい彼に急かされながら、玄関のドアを開けた。
彼がさす傘に入って、歩く。
今日の1日が、私にとって理想的な1日で、念願叶えた心地だと伝えたら、彼はどんな顔をするだろう。ちょっとは、雨の日におうちでまったりもいいね、なんて思ってたりするのだろうか。
傘を持つ彼の右腕をそっと取り、口を開いた。
***
うたたネさん主宰のアンソロジーに参加しました。アンソロジー、なんか一緒のテーマでいろんな人が書き物をするという、あれです。
今回のテーマは、『雨』。
長い梅雨が明けて、強い強い日差しがドンと主役になると、うんざりだったあの雨が恋しくなったり、なんて。いやでも、うーん……物は濡れるし、髪の毛湿気で爆発するし、なんだかだるくなって集中できないし、嫌だー。
でも、総じて雨は嫌いでも、雨音を聞きながらのおうちでまったりは、やっぱりとっても好きだ。
うたたネさん、お誘いありがとうございました!
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