5分で読める登販対策その3〜スモン訴訟編〜

こんにちは。最近の悩みは野生のたぬきが自宅の庭に穴を掘っていくこと!もち犬です(・∀・)

さて登販の試験問題の定番には4つ、薬害の歴史がありましてね。
スモン、サリドマイド、HIV、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)
◯原因の薬剤は何だったか
◯どのような症状が出たか
◯誰が訴えられたか
◯和解したか
◯その後、どのような制度が制定されたか
これらがポイントです。

えぇ…ここで脱線してより詳しく調べてしまったのがもち犬です(・∀・)
先にポイントだけ書いておくので、下の方は興味がある方だけ読んでください。

スモン
キノホルム製剤によるスモン
スモン(Subacute Myelo-OpticoNeuropathy)とは亜急性脊髄視神経症のこと。
整腸剤として販売されたキノホルム製剤が原因。
スモンは腹部の膨満感に始まり、激しい腹痛を伴う下痢を生じ、次第に下半身の痺れや脱力感が現れる症状。
麻痺は上半身へと広がり全身症状が現れ、失明することもあった。
スモン薬害は原因が新薬ではなく、昔から使用されている医薬品で安心との誤解があり、被害の発生から原因究明まで時間を要したことが問題の1つ。
 キノホルム製剤は1958年に神経症状が報告され、アメリカでは1960年にアメーバ赤痢に使用が制限されたが、日本では引き続き汎用。
 1960年代頃からスモンの症状が多発するようになっていたが、原因不明とされていた。
1970年にキノホルムがスモンの原因と判明して販売中止が決定。
国と製薬企業が被告として提訴され、1979年にスモン患者との和解が成立。
サリドマイド訴訟、スモン訴訟を契機に、1979年に医薬品の副作用による健康被害の迅速な救済を図るための医薬品副作用被害救済制度が創設。

◯スモンとは亜急性脊髄視神経症のこと
◯整腸剤のキノホルム製剤が原因
◯腹部の膨満感から激しい下痢
◯下半身から上半身への痺れや麻痺
◯失明することもある
◯アメリカでは1960年に使用中止されたが日本は販売続行、10年遅れて販売中止
◯被告は国と製薬会社
◯1979年に和解
◯1979年に医薬品副作用被害救済制度が制定

以下、個人的に追加で調べたより詳細なことなので興味がある方はどうぞ。

キノホルムは、殺菌性の塗り薬として1899年にスイスで開発。
腸から体内には吸収されないと考えられたため、1920年代からは腸の殺菌目的で内服薬として使われるようになりました。

1935年にアルゼンチンでスモンらしい症例が発生し、スイスはキノホルムを劇薬に指定。
日本もこれにならったが…なぜか1939年に日本では劇薬指定が取り消されたことが悲劇の始まり。

まず軍隊での使用のために生産が拡大。
さらに第二次世界大戦直後の日本は混乱しており、厚生省の薬事審議会は内外の薬局方に収載されている薬品を一括承認…雑すぎやしないか…。

その後もキノホルムは適応症が拡大され、投与量の増加も認められる。
ちなみにアメリカではアメーバ赤痢のみ適応症としていた…日本…(´;ω;`)

市販薬にもキノホルム含有するものが多くあり、その数なんと186品目。
超メジャーな成分だったわけです。
そしてその市販薬はというと「整腸剤」でした。

「整腸剤」を飲むとお腹が張った感じに痛み、激しい下痢。
まぁ、元々の腹具合が悪い人が飲んでいることもあり「整腸剤だから」とそのまま飲み続けたり調子が悪いならと医師から増量して処方されたりと悪循環が止まらない。
ただ、ここでいう痛みのレベルは「のたうちまわる」激痛。
数日ほどでこの激痛と下痢の症状は治まる。

2週間ほどすると足先から痺れが始まる。
次第に力が抜けてうまく歩けない、立ち上がれない。
ジンジン、ビリビリといった感じやザラついた感じがしたりと足がおかしい。
正座をした後の足の痺れを想像してほしい。
その痺れがお腹や胸など上半身にも広がっていく。

視力障害は20~30%の患者でみられ、最重症の場合失明。
約5%の患者が全盲であるというデータも…キノホルムの量が多いほど、より重篤だったり急激に症状は進んだことは後に判明する。

1950年代から日本各地で後にスモンと判明するこれらの症状が急増。
当初はこの症状が同じ地域に多かったことで、風土病や感染症かと思われてしまう。
奇病とも言われたこの地域の住人、患者はいわれのない差別を受けることになる。

そりゃあ、急に足が痺れて歩けなくなったり失明する人も現れたら大パニックですよね。
何が原因とも分かっていないことが事態に拍車をかける。
ウイルスによる感染症だという研究発表もあり差別はよりいっそう激しく、これを苦に命を落とす者も多く出てしまう。
当時はこのスモンの予防に、キノホルム製剤を飲むこともあったりと…負の連鎖が止まらない。

負の連鎖はある患者たちの舌が緑色となったり、排出される便も緑色になったことを研究したことにより断ち切られた。
この患者たちの共通点はキノホルム製剤を服用していたこと。
緑色の部分からキノホルムが検出された。
そこで、キノホルムを含むものを全て販売中止とする。

販売を中止して、新規の患者が激減する。
これによりキノホルムが一連の症状、亜急性脊髄視神経症の原因と判明。
1970年のことである。
長い人では発症から20年近く経過したこととなる。

原因のキノホルムの服用をやめることで、症状は回復傾向となる。
それでも失われた視力は戻らないし、麻痺といった後遺症は続く。
以前のような健康には戻らない。
服用を止めて動けるまで回復、働き出すと再度悪化して仕事を辞めざるを得なかったりということもあった。

男女比は1:3で女性の方が多い。
「お母さん」があるときからいきなり、歩けなくなって目も見えなくなったという事態も頻発したのではないだろうか。

推定で11,000人の患者がいた。
これは推定だし、全員が認定患者となったわけでもないので実数はさらに多かったことは想像に難くない。
何せ10〜20年経過している、その間に亡くなった方も数多くいらっしゃる。

現在では患者の平均年齢も80歳を超え、高血圧や骨折、白内障や関節症など新たな全身の多岐にわたる後遺症が続いている。
医薬品副作用被害救済制度で、患者への支援もまた続いている。






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