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喫茶店の非日常感

 喫茶店ではブレンドコーヒーを注文することが多い。どの喫茶に行ってもメニューの一番上にあるブレンドコーヒーを選ぶ。
 喫茶店? カフェではなく喫茶店。カフェは現代的で喫茶店は古典的? カフェはチェーン店で喫茶店は個人店? いや、違うなぁ。言葉にはしにくいが、カフェと喫茶店は違う。喫茶店のドアを開けるときの、ドキドキする何とも言えないあの感じ。扉の向こうにはどんな光景が広がっているのだろう。喫茶店には非日常的な感じがある。


 7月のある日。正午前の日本橋近く。ふと通りかかった喫茶店に入った。磨りガラスが格子状にはめ込まれた木製のドアを開けた。客は一人もいなかった。カウンターから見える壁には、赤や黄、青、緑…… 色とりどりのティーカップが並ぶ。
 「今日はちょっと冒険してみよう」と思った。いつものブレンドコーヒーではなく、メニュー2ページ目の一番上、「おすすめ」と書かれたカプチーノを注文した。いや、本当はクリームと“シナモンのせ”というフレーズに惹かれたことは告白しておく。

「お待たせいたしました」、マスターがカプチーノを持ってきてくれた。
 白地に黄色の模様が描かれた壺のようなカップ。お皿には、向かい合う2頭のライオンと桃や葡萄の絵。カップの取っ手もライオンになっている。
「かわいいですね」
「これはシンガポールのものなんです」
壁面を飾る器たちは、世界各国から集められたものらしい。
「コレクションですか?」
「いえ、すべてお客様にお出しする用です。いろんな国に行けなくても、旅している気分になれてね……なんて。今日はあなたのイメージにピッタリなものをお選びしました」
 私が選んだカプチーノは、メニューの通り、シナモンがふんだんにかけられていた。
「下に熱いコーヒーが入っていて、その上にクリームとシナモンが乗っています。お熱いのでごゆっくり」
 マスターから「ごゆっくり」と言ってもらえると、少しでも長く滞在することに対する罪悪感もうすまるし、うだるような暑さの外に出なくても済む。
 
 シナモンの香りを楽しみながら、スプーンでちょっと重めの硬いクリームをよけ、コーヒーをゆっくりと混ぜた。
 大きめの音量で流れるジャズ。サックスが心地よい。サックスといえば高校生のころを思い出す。吹奏楽部の先輩のサックス。音色を覚えているのか、サックスを吹く先輩の姿を覚えているのか。お弁当を食べ終わった昼休みの残り時間、教室の窓の外をぼんやりと眺めると、先輩はサックスを吹いていた。
 マスターがひくコーヒー豆の香りを堪能しながら思い出にひたるうち、クリームは溶けてコーヒーと一体化していた。

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