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不安は、〝感じ〟ても、〝取り組まない〟。~絵日記学を学んで私ができるようになったこと⑱~

まだ、できるようになったとは言い難いのだけれど、そもそもこう思えたということが、ひとつ成長だと思う。

これまで漠然とした不安がつきまとっていて、
物事(特に仕事)に全力を尽くすのを阻んできたように思う。
やるべきことはわかっているのだけれど、
「もしうまくいかなかったらどうしよう」という不安が頭をもたげ、
「こういう状況になったらこう対処しなきゃいけないから、そのためにはこれを準備しておかなきゃかな、いやあれをこうしておくべきか・・・」とまだ起こってもいない事態の対応策を頭の中にグルグルめぐらせ、自分で不安をあおり、そのうちに〝うまくいかなかった場合の言い訳〟まで考え始める、
なんてことをけっこうやってきた。
やるべきことがわかっているのだから、それをやればいいだけなのに。
準備をするのなら、失敗した場合のそれではなく、やるべきことをスムーズにいかせるための、準備をすれば良いのに。

そんな私だけど、何が起因か未だによくわかっていないのだけれど、数か月前から急に、
「やるべきことをやるだけだ」
の腹を括れた感がある。
やる前の予防線とか、ダメだった時の言い訳とか、うだうだ言ってないでやるんだ!と脳内で叫ぶもう一人の私がいる感じ。そして、
「やるだけやってダメなら仕方がない」と潔い諦めが、その覚悟を支えている気がするのも、今までの私にはなかった心境。

こんなふうに清々しい心持ちのおかげか最近の仕事は順調。
成果を上げられていると言って良い状況。
じゃあ、常に自信満々でポジティブかといえば、不安は相変わらず私の身近にいる。「今のこの状況がずっと続かないかもれしれない・・・」とか、考えなくていいことがモヤモヤ湧いてきたりする。
でも。
ここで以前と変わったのが、その不安との向き合い方なのだ。
不安は〝感じる〟のだけど、その自分の状態は自覚するのだけど、不安そのものには〝取り組まない〟でいいんじゃないかと思えるようになった。
取り組まない、つまり執着しない。とらわれない。飲み込まれない。
感情は感じるものではあって、だからどんな感情、たとえ怒りであっても感じてよいのだけれど(それを誰かにぶつけたり迷惑かけてよいということではもちろんない)、取り組むものではない。
今回たどり着いたのは、そんな気づき。

取り組むのだとしたら「課題」だな。
不安の根源あるいは裏にある「課題」を見出して、それをクリアできるよう取り組む。そうすればきっと不安も解消されていく。

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