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「泣いてもいいよ」~絵日記学を学んで私ができるようになったこと⑰~

私、かなりの涙もろい人間で、切ない話や悲しい話、それから感動的な話を見たり聞いたりすると涙が込み上げてくるたちです。苦しみを乗り越えて目標を達成したドキュメンタリーとか見るとやばいです(笑)
幼い頃などはさらに、自分に関わることで悔しい思いをした時などもよく泣いていました。
習っていたエレクトーンで思うように曲が弾けなくて悔しい。
兄貴に喧嘩で負けて悔しい。
バスケの試合で負けて悔しい。
・・・
本当によく泣いていたなあ(笑)
ただ私ももういい歳の大人なので、泣きそうになることがあっても耐えるようにしています。
特に自分のことではなるべく泣かないようにしています。

そんな私ですが、1ヶ月ほど前、自分のことで号泣しました。

仕事で毎月自分が担当しているコーナー記事があるのですが、
それまでの書き方・内容に対して「もっとこういうことをこんな風に書きたい」と提案をしたんです。
なんとなくルーティーンワークになってしまっているのを改め、より面白い記事を書きたい、そのためには自分がもっと楽しみながら書くことが大切だと考えての提案でした。
しかし、私が予想していたような賛同は得られず、数人からは割と反対の意見をもらいました。
今思えば、客観的な考察をしていない超主観的な提案で当然の結果だったと理解できますが、その時の私にはかなりのショック。その場は精神力を振り絞って必死で平静を保ち、でも内心ではモヤモヤ、ドロドロとしたものが渦巻いていて、その日は金曜日だったので、気分を晴らしに飲みに行きました。
でも、そんなんじゃ全然治まらず(笑)


そこで観念した私。
「もう、泣いちゃったらいいよ!」と、自分自身に泣くことを許可。
帰宅後、念のためトイレに籠って(笑)、自分の感情の赴くままに泣きました。

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ひとしきり泣いたら思っていた以上にスッキリ。

私は、
自分の提案をはなから突っぱねられて悔しかった。
そしてそれが、「こうすればおもしろくなるんじゃないか」という私の考え、その考えのもとになっている私の価値観を〝否定された〟ように感じられて【悲しかった】ということがクリアになりしました。
それと同時に、今回の提案に賛同をもらえなかったからといって私の価値観まで否定されたわけではないという現実の状況も冷静に見つめることができました。

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これは、思う存分泣いたおかげです。
会議の場では一旦我慢して抑え込んだ自分の感情。
それを抑え込んだままにせず、きちんと味わい尽くすことで消化できた
のだと思います。
もし、それをそのままなかったことにしようとしていたら、この感情は未消化のまま私の中でくすぶり続けたでしょう。またいつか、何か反対にあうなど似たような状況に遭遇した時、くすぶった感情が火種になって今度は抑えきれないくらい爆発したかもしれません。

我々大人は、そして社会人は、時に自分の感情を抑えることが必要です。
私も、今回の場合は「泣く」でしたが、ほかにも「怒る」とか「暴言を吐く」「ネガティブなことを言う(考える)」「だらしない振る舞い」「甘える」などなど、我慢することが多々あります。
それは、感情のままに行動したら上手くいかない可能性があると判断するからそうします。
ただ、湧いてきた感情を抑え込んだままにしたり、ないもののように扱うことは、事実を捻じ曲げることにもつながります。
自分に対してもいわば〝嘘をついている〟ような状態、たとえ一時しのぎはできても、心穏やかでい続けることはきっと難しいですよね。

だからTPOを弁えつつ、自分の感情や思いを消化する時間、そのままの自分の感情を出して良いと許可する機会を設けることが大切だと思います。

「泣いてもいいよ」
「その気持ち、感じていいよ」
ちゃんと自分に許可を出してあげるようにしようと思った出来事でした。


通ずること、前にも書いておりましたhttps://note.com/mochi51/n/n397d997c58ba




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