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ハンドルネーム「鉄塔店主」の由来について

ハンドルネームの「鉄塔店主」は、ドイツの指揮者クラウス・テンシュテット(1926-1998)の演奏にインスパイアされ、その名をもじったものです。
もともとは「てんしゅてっと」とPCで打ち込むと、「店主手っと」などと変換されることから、「店主鉄塔」などと書いていたのですが、あまりにもひねりがないので、「店主」と「鉄塔」を入れ替えて、「鉄塔店主」としたわけです。まあ、いずれにせよ、大したひねりはないです💦

なので、電線関係の仕事をしているわけでもなければ、店主と呼べるような店を経営しているわけでもないです。

由来の説明をしましたので、由来となったクラウス・テンシュテットについて少々書きます。(以下、テンシュテットと言います。)

テンシュテットは、1926年(大正15年)、ドイツに生まれた指揮者です。ドイツは第二次世界大戦終結により、東西に分けられ、テンシュテットは東ドイツで指揮者となりますが、1971年(昭和46年)、西ドイツに亡命します。西ドイツでは、キール歌劇場の音楽監督を皮切りに、1979年には北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督に就任しましたが、楽団員との関係に苦慮し、1983年にはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に転じます。
ロンドン・フィルとは、
・「我々はクラウスのためなら120%の力を出し切る」(匿名のロンドン・フィル楽団員)
・「彼の音楽理論はオットー・クレンペラー以来もっとも深いものであろう」(タイム誌)
・「テンシュテットなきロンドン・フィルはミック・ジャガーのいないローリング・ストーンズのようだ」(ガーディアン紙)
などの賛辞を寄せられるほどの蜜月関係を築き上げたと言われています。

1984~1985年にかけて、テンシュテットはロンドン・フィルを引き連れて日本を含むアジア・ツアーや全米及び豪州ツアーを敢行します。

その後もロンドン・フィル音楽監督のかたわら世界各地に客演して演奏を聴かせましたが、1985年に喉頭癌を発病してしまいます。1987年には静養のためロンドン・フィルの音楽監督を退き、同楽団から桂冠指揮者の称号を贈られました。以後、放射線治療を受けつつ演奏活動を続けましたが、1993年に事実上の引退状態になり、1998年に死去。享年71歳でした。(Wikipediaより抜粋、一部内容を変えない範囲で補訂。)

私と、テンシュテットの出会いは1994年頃、CDでの出会いでした。その頃は、すでに事実上の引退状態になっており、生で彼の指揮する演奏に接することは叶いませんでした。CDはEMIレーベルでそれなりの数の録音が出ていましたが、正直、同時代のカラヤンやバーンスタインといった指揮者と比べると地味な印象で、この頃のEMIレーベルのクラシック録音はイマイチだったこともあり、私も当初は気にも留めない指揮者でした。

しかし、海賊盤(確か、怪しげなFIRST CLASSICというレーベル)で出ていたマーラーの交響曲第2番『復活』のライブ演奏を聴き、これはすごい指揮者なんじゃないか?!と気づき、その後、海賊盤だけでなく、遺族が承認した正規版も多数リリースされ、クラシックファンの知れるところとなります。どうやら、テンシュテットの演奏は、スタジオ録音は安全運転なのに、ライブになるとかなり燃え上がる熱い演奏を繰り広げるタイプだったようで、スタジオ録音ばかりリリースされていた生前は、あまり評価されず(特に、生演奏を聴く機会の少なかった日本では)、死後に多数リリースされたライブ盤によって名演を知られるという、不遇の指揮者でした。

Wikipediaでは「1984~1985年にかけてテンシュテットは同楽団を率いて日本を含むアジア、8年ぶりの全米及びオーストラリアへのツアーを敢行し成功させた。」とありますが、少なくとも日本では成功とは言い難い公演もあったようで、せっかく来日したのに、東京や大阪などの大都市以外の地方都市では、ガラガラのホールで熱演を繰り広げていた、という話を聞いたこともあります。もし、今の私ならば、地方にでもどこにでも聴きに行くのに!何とも惜しいことをしたと思います。(当時小学生の私はまだクラシック音楽を聴いておらず、しかも県庁所在地でもない田舎町に住んでいた私は、テンシュテットが来日していたことすら知りませんでした。ちなみに、1988年と1992年にも公演のため来日していたらしい。ただし、1992年の公演は急病のため一度も指揮していない。)

いま、テンシュテットには限られたCDとわずかな映像でしか会えませんが、私にとって彼の演奏は、一種のメルクマーク的存在で、他の演奏を聴くときの基準になっています。いろいろな指揮者の演奏を聴くにしたがって、彼の演奏を聴く回数は決して多くはなくなっていますが、これからも聴いていきたい指揮者です。

(写真)死後、EMIが北ドイツ放送交響楽団からライセンスを得てリリースされたライブ録音のCDジャケット抜粋




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