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6年ぶりの大イベントについての考察


6年ぶりに大晦日・元旦を息子と二人っきりで過ごす。

6年前は中学受験を目前に控えて相当緊張していた。中学受験は親子の戦いとよく言われるけれど、世間知らずでまだ小学生の子どもは簡単に親の言葉や塾の先生の言葉に影響を受け、子どもの意思を尊重する気持ちはあっても大人が誘導してる感が否めなかった。
うちの息子は小3の冬から塾に通いだしたが、塾が楽しい塾の授業は面白いという理由だけで通っており、さして本気で勉強もせず成績もさっぱりなまま6年生になっていた。当初は受験はしてもしなくてもいいぐらいだったのが、学校見学や説明会にいったり文化祭にいったりするうちに行きたい中学校ができて、周りの友人たちが本気モードになるにつれ、やっと真剣に勉強するようになったのが6年生の夏休みだった。

息子が小4小5の時期はわたしが勉強を教えていた。特に苦手だった算数。ものすごく気を使って感情を押し殺して冷静に教えていたつもりでも、理解しない息子に一瞬イラっとする(自分では隠してるつもり)瞬間を敏感に察知して癇癪をおこされ、それにわたしが逆ギレするという親子修羅場を繰り返した結果、息子にもう勉強を教えてもらいたくない家で勉強しない!!!と宣言され、その後現在高3に至るまで彼は家で一斉勉強しなくなった。
勉強自体をしなくなったのではなく、塾に残って自習スペース、近所の公民館の自習スペース、図書館の自習室を渡りあるき、小学生なのに駅前のケンタやマックまで使って絶対に家で勉強しないを貫いていた。中高一貫校に入学後もそのパターンで家では一斉勉強しない。
大学受験を目前に控えた今は予備校の自習室が彼の居場所になっている。
息子は元々穏やかな性格で家に帰ってくると完全にオフモードになってのんびり過ごすことに専念するようになった。

よく不登校の子はホームスクーリングで勉強を、みたいな言説を見かけるけれど、親が子どもに勉強を教えるというのは至難の業なのではと思う。(自分ができなかったから自己弁護かもしれないが)教職の資格をもっていても専門的に指導の仕方を学んでもなかなか難しいのではないだろうか。
ホームスクーリングは私には絶対にできない。

本人なりに必死で勉強するようになった小6の夏休み以後、自分では頑張っているのに模試の成績はなかなか上がらず、毎月の模試の結果がでるたびポロポロ泣いている息子の姿をみるのはつらく苦しく、
「頑張った結果ってすぐにでないんだよ。夏休みにあんなに頑張った分はきっと冬ぐらいにでるんだよ、絶対大丈夫!!!」と毎回慰め励ましていた。
「こんなに頑張ってるんだから大丈夫だよ!!」

そのうちにわたしは「大丈夫」じゃない場合も想定するようになり、息子に「大丈夫だよ!!」と言い続けることが正しいのかわからなくなってきた。
うちの子も確かに頑張っているが、小6の夏休み以後なんてほかの子もみんな必死で頑張ってる。成績が伸びなくなるのなんて受験のセオリーで本番まで成績が伸びず間に合わない可能性のほうが高い。「大丈夫」って何が大丈夫なの?これで大丈夫じゃなかったとき、なんて言えばいいんだろう、
どうしよう。

もちろん受験校の選定は大丈夫なように組むし安全策もとるが、根本的に本人は自分の努力が結果として現れることを望んでいる。それはわかる。
でも人生において、どんなに頑張っても結果がでないことなどいくらでもあり、その頑張っても結果がでないこともあるということを「大丈夫」という言葉でうやむやにすることってなにも「大丈夫」じゃないし、わたしはどうやってこの言葉の責任をとればいいんだ。。。と延々悩む日々が続いた。
息子を信じていないわけではなく彼が本気で頑張っているのは認めているけどそれと結果がリンクしない可能性をまだ小学生の男の子にどうやって伝えていいかわからず、無責任に「大丈夫だよ」と言い続けるのはまるで騙しているみたいで本当に苦しかった。

その後、「運よく」うまい具合に息子は受験を乗り切り、自分の志望していた学校に入学することができた。わたしは「大丈夫」の責任をとらずにすんだ。本当に運がよかったと思う。心の底から神様に感謝した。
そして、わたしはあれほど思い悩んでいたことを忘れられないのに、息子はわたしの言葉なぞまったく覚えていない。中学受験の思い出話をするとき、彼の記憶に残っているのは友達だったり塾の先生で、わたしじゃない。
よかったーーーー、本当によかった(笑
でも結果がダメだった場合は彼の記憶は違うものになっていて私が恨まれ続けていた可能性も大いにある。

そして6年後の今、いよいよ大学受験をむかえる。
中学受験のときとは全然違う。彼がひとりで戦っている。
ストレスでアトピーが悪化し、勉強のスランプに苦しみ、不安と対峙してそれでも努力し続けている。
悩みを相談するのも友人や先生。わたしは本当に心配と応援と祈ることしかできない状況になった。
唯一できることはお金をだすことだけだ。まだできることがあってよかった。
もう「大丈夫だから」なんて言えない。どんなに頑張っても結果がでないことがあるというのを彼もわかってる。
そして、まだ小さかった小学生のころは心が折れてしまったらどうしようと心配していたのも事実。でも今はたとえ失敗しても挫折しても必ずもう一度立ち上がれるはずと信じている。

#もぐら会 #受験 #親もつらい #エッセイ

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