柴崎友香さんの本を読んで
私は柴崎友香さんの本を読んでいて、考え方が似ているな、と思うことが多いので、今までに読んだ6冊の本のことを書いてみようと思いました。
初めて読んだのは、『わたしがいなかった街で』なのですが、その中で大げさかもしれませんが衝撃を受けた部分がありました。
この小説の主人公は、36歳の独身の女性で東京に住んでいます。離婚を経験していて子どもはいません。仲の良い友人がいてその友人には5歳の子どもがいます。主人公はその子どもと仲が良くて、家に遊びに行って長い時間遊んでいたりします。
この小説の中で私が衝撃を受けた部分を以下に引用します。
わたしの家にわたしの子供がいなくても、誰かの家に誰かの子供がいるからそれでいいのかもしれない、とも思った。血のつながりというものがなくても、わたしは昇太と話せるし、どこかで誰かの子供が育っていくのは、自分にとってはうれしいことには違いない。そこになにかしら自分が関係することがあれば、たとえば道端で挨拶するようなことでもあれば、もっといいのだけど。
柴崎 友香. わたしがいなかった街で(新潮文庫)新潮社. Kindle 版.より引用
私も主人公と同じく離婚を経験していて子どもがいないのですが、いつの頃からか離婚する前からかもしれませんが、自分の子どもではなくても、知っている子どもをかわいがればいいよなあ、と思うようになりました。子どもはみんなかわいいので、出会った子どもをかわいがったらいいやん、という気持ちになってきたのです。きっと柴崎さんもそういう考え方なんだろうな、と想像しています。
この小説の中で主人公は、戦争のドキュメンタリーを毎晩のように見続けているのですが、私は見ないのでそこは明らかに違うと思いながら読み進んでいました。最後の方に主人公が戦争のドキュメンタリーを見続けている理由を友人の父親に語っている場面がありました。
「ほかにできることがあるのに、たいていの人がこんなことはやりたくないと思ってるのに、なんでこうなるのか、いくらドキュメンタリーを見ても本を読んでも、全然わからないんです」
この言葉を読んで腑に落ちました。私もそう思っているからです。だけどこの後友人の父親が主人公に次のように言います。
「あなたはね、自分のそういう気持ちを言いたくて、聞いてくれる人を探してるみたいだけど、誰かに話を聞きたいとは思わないの?なんていうか、自分の考えに合うことだけを探してるようにも見えるんだよな」
この言葉はなかなか厳しくて、私だったらこの人のことを嫌いになるし関わりたくないと思うやろうな、と思いました。主人公はそんなことはなく受け止めています。柴崎さんの作品には、異なる意見を描こうという意志が感じられます。だから登場人物のそれぞれの視点で描いた小説を書かれるのではないかと思いました。
2冊目に読んだのは『その街の今は』です。主人公は大阪に住んでいて、勤めていた会社が倒産し、カフェでバイトをしています。古い写真が好きで集めていて、その場所が昔どんなんだったかが知りたいと思い、何十年か前の街の姿に思いを馳せます。この小説の中の「現在」が私の知っている大阪の街だったので、懐かしいあの頃の大阪を思い出しながら、私の知らない昔の大阪、親から聞いたことがあったり昔の映像や写真で見たことのある大阪を想像しながら読みました。
3冊目に読んだのは『春の庭』です。私が読んだ柴崎さんの本の中で一番好きだと感じました。東京・世田谷にある古いアパートに引っ越してきた主人公の男性は、同じアパートの住人の女性が向かいの水色の家をのぞき込んでいることに気が付きます。その女性は高校生の頃に見た「春の庭」という写真集の撮影現場であるその古い家に異様に興味を持っていて、どうしてもその家に入りたくて、とうとうその家の住人と仲良くなって合法的に中に入ってしまう、その女性の執念と行動力がすごくて、楽しい物語です。
4冊目は『きょうのできごと、十年後』です。京都が舞台の小説です。柴崎さんのデビュー作『きょうのできごと』の十年後のお話です。『きょうのできごと』は行定勲監督により映画化されています。
鴨川が出てきます。1編ずつ主人公が変わります。登場人物がA、Bの2人だとすると、1編目はAが主人公でAの視点で書かれていて、2編目はBが主人公でBの視点で書かれている、そういう形式の小説です。Aの視点ではこの出来事はこういうことだったんだけど、Bの視点ではこういうことだったのか、という種明かしのようで、同じ出来事がその人の考え方や他の人は知らない状況なんかで違う受け止め方になって、毎日起こっているいろんなことが別の人にとっては全然違う意味になったりもするよなあと思いました。周りから見て余裕があるように見える人が、内面ではいろんな葛藤や思いがあって本人は上手くいっていると感じていない、ということも描かれています。最終的に伏線は回収されず、うまい具合にハッピーエンドになる、ということはないところに真実味があっていいな、とも思いました。
5冊目は『公園へ行かないか、火曜日に』です。柴崎さんが2016年にアイオワ大学のインターナショナル・ライティング・プログラムに参加して、どんな場所でどんな体験をしたのか、どんなことをして毎日を過ごしていたのか、どんな人たちが参加していて柴崎さんとどのようなコミュニケーションを取ったのかが書かれた日記のような、柴崎さんの小説のようでもある文章です。この本に書かれていることは柴崎さんの考えていることなので、自分との共通点もより分かりやすいのですが、人との接し方が似ているなと思いました。コミュニケーションを取るのが英語だということもありますが、柴崎さんは言おうと思ったことがすぐに言えなくて、あとからメールで送ったり、数日後にもう一度そのことについて自分が考えたことを相手に話したりされています。とっさに適切なことが言えない登場人物が柴崎さんの小説には出てきたりするのですが、私は自分もそうだったりする、と思いながら読んでいたので、この本を読んで柴崎さんもそうだったんだと知って、ますます親近感が湧きました。
6冊目は『星よりひそかに』です。最近読み終わりました。この小説の中で1番私が驚いたところは、私が高校生の時に愛読していた本が小説の中に登場したことです。
この小説も1編ずつ主人公が変わり、7編あります。4編目の「この夏も終わる」の主人公の高校生の女の子が、学校の図書室で本をリクエストしているという記述があり、その本が山本周五郎の『さぶ』なのです。
私は山本周五郎の『さぶ』を高校生の時に初めて読んで、とても気に入って勉強机の引き出しの中に大事にしまっていました。私が今まで読んだことのある本の中に、山本周五郎の『さぶ』は出てきたことがなかったので、柴崎さんはやっぱり特別共通点の多い人だと思ったのでした。
続いて共通点を感じたのは、同じく4編目の「この夏も終わる」の中で数学の先生が「わたしにはわからない数学の問題をとても楽しそうに「いいなあ、これ、いい問題だなあ。」と独り言を言いながら解くので、好感を持っている。」という記述です。その感じわかります、私も好きです、と思いました。そういう人が好きなのもありますが、私もテスト問題に感激したりします。この問題作った人すごい!と思う感覚というか考え方があります。今まで私が出会った問題の中で1番すごいと思った問題は、5年前に受けた簿記の試験問題です。制約のある中で可能な限りのギリギリまで攻めて、見たこともない問題を作り上げたセンスと機転とアイデアが素晴らしかったです。試験中に問題を解きながら「この問題はすごいわ!」と感激しながらあきらめない気持ちで問題に挑戦しました。歴史に残る良問だと私は今も思っています。そんなことを思い出したりしながら最後まで読みました。
ここまで書いてきましたように、柴崎さんの本を読んでいると自分との共通点を発見することが多く、他の作家さんとの違いを感じます。それが楽しくてまた他の本も読んでみたいと思うのです。まだ読んでいない本もたくさんあるので、これからも柴崎さんの本を読んで発見していきたいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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