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”○○ハラ”って言えばいいんだっけ?

ハラスメントを振りかざしすぎる弊害

「ハラスメント」と聞いて思い浮ぶものは何個ありますか?パワハラ、セクハラ、モラハラ、スメハラ、(あと10個くらい・・?)なんて思っていたわけですが、調べてみると50個前後はありそうです。。

まあ別に、何個あっても良いんですが、最近の個人的な違和感。なんとかハラって言えば、済むと思ってない?特に若者・・。

そもそもハラスメントの定義は色々あると思いますが、共通しているのは、相手の尊厳を傷つける或いは不利益を与える言動。そしてもう一つ、たとえ悪意がなくても、された本人が嫌だと思えばハラスメントとみなされる、という点ですかね。

でも個人的には「それでいいんだっけ?」って思うんです。

社会に出ると、納得いかないこと、不条理なこと、理不尽なこと、これらって間違いなく何らかのシーンで発生するし、何ならむしろそういったシーンの方が多いわけです。      

そういった場面にいざ遭遇した時、解決のヒントとなる引き出しが無い人間になるのと、それを「あの時に比べれば・・」と乗り越える頼もしさがあるのとでは、圧倒的に後者の方が魅力的だし、組織において必要なピースだとぼくは思います。

人は、基本的に経験したことの中で比較して、物事をジャッジします。例えば、その比較が「あの時は、××ハラで乗り越えたから、今回もそれを声高に叫べば優勢だ!(もしくは、何ハラに該当するんだろう・・?)」という思考はあまりにも寂しく、競争力に欠けると感じてなりません。

基本的にこれからの社会は、少子高齢化に伴う人口減少、増える国債、業界のカオス化など大変革期に突入します。国際的な連携なくして日本は立ち行かないところまで来ています。恐らくその時期は今の若者が働きがいを持って活躍する時期でしょう。日本ほどのハラスメント数の概念は海外に存在しません。海外の人にも日本独自のハラスメントを主張し続け、肝心な議論(社会的発展)をストップさせてしまうのだろうか、と危惧しますし、個人的にはそれってものすごく勿体ないことだと思っています。一体その危機感ってどのくらいの人が持てているんだろう?と最近特に感じています。

恐らく、中高年世代は「ハラスメント」に怯えています。無理もないと思います。最近よく耳にする”ハラハラ(ハラスメント・ハラスメント)”ですね。だから、ここまで私が述べてきたことを声高に主張する人は少ないでしょう。

世知辛い世の中だな~、なんて最近よく考えていますが、若者は自分たちがあと20年後にくる社会や身の回りの風景を想像したときに、今身に付けるべき視点・視座が何かを冷静に見つめなおし、行動すべきだと思います。そうすればおのずと、(非人道的なものは抜きにして)ある程度の厳しい指摘や理不尽なことも、「自分のため(或いは家族、子どものため)」と頑張れる気がするし、ある程度は頑張っておいた方が良いと思うんですよね・・。生き物は競争に負けると死ぬというのが自然の摂理です。競争力が何で構成されるのか、を理解し直す必要があると思っています。

外的要因に右往左往させられるのではなく、もっと先を見据えて有意義な時間の使い方、自己投資をしようよ!って思ってます。人様が私たちのために何かを残してくれるなんて期待は一切できないし、そんな虫のいい話をするべきではないです。自ら掴むんです。



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