人工関節全置換術、その2

患者目線から真面目に解説してます。

人工関節を“入れる”ということ

 関節を取り替えるっていうけど、具体的に何をどうするのか?想像するのはちょっと難しい。
 簡単にいうと、病変のある骨頭、丸い部分とそれを受ける皿の部分を金属(あるいはセラミック)に置き換え、軟骨の代わりになる物質を入れて金属のボールがスムーズに回転するようにし、人間の健康な関節に限りなく近い動きができるようにする。

stage CⅡは壊死範囲が広いということ
A(B)は3mm以上の圧潰があるかないかということ、画像では判別しづらい
置換するにあたり、病変部位を取り除く

受け皿側にも金属を埋め込み、強度を確保する
骨頭は滑らかに動くボール状
新しい骨頭を支えるのは残った健康な骨に埋め込まれた金属の骨

人工関節の寿命

人工物には寿命がある。血が通い代謝を繰り返す人体とは違い、疲労や摩耗で壊れてしまう。特に軟骨部分はどうしても動かせばすり減っていく。ポリエチレンなので残念ながらグルコサミンでは良くならない。そこで、寿命と思われる年月が経過した後、再置換といって新しい人工関節に丸ごと交換する手術を行うことになる。
 よく高齢の方が骨折して人工関節を入れた、なんて話を聞くが、それは再置換のリスクが低いからだ。身も蓋もない話だが、ある程度まで年齢のいった人なら再置換より優先すべき何らかの治療があったり、そもそも自力歩行ができなくなっていたり、亡くなってしまったりする可能性の方が高い。だから、この先数十年の生活をなるべく不自由なく過ごしましょう、という方針のもと、人工関節への置換は積極的に行われる。
 だが、わたしのような30代となると話は別だ。今ちょうど再置換の時期を迎えている人工関節の寿命は15〜20年と言われており、技術の進歩によりその寿命は30年程度に延びたと言われている。しかしわたしが健康に生きたとして、30年後は60代であり、現代医療では十分健康に生きている世代と見做されている。生きていればほぼ確実に再置換の手術を受けなければならないのだ。
 これを重大なリスクと取るかどうかは医師個人、患者個人によって見解が大きく異なる。医師としてはむやみに身体を切って侵襲を繰り返すのは感染症や神経への負担などを考慮しても強く推奨はできない。一方、患者側からしてみれば、痛みを伴ったまま治る見込みのない不自由な足で何十年も生きていくのは避けたい。

関節を使えば使うほど軟骨部に充填されたポリエチレンは摩耗していく
人工関節自体にももちろん使用限界があり、
脱臼や骨折などを防ぐためにも適切な時期に再置換する必要がある

「骨切術」という選択肢

 そこで、比較的年齢の若い患者に提案されるのが「骨切術」という、自身の骨を残して痛みを取り除く手術だ。

荷重部に壊死がある症例
範囲は比較的狭いが圧潰の恐れがあり可動域の制限や痛みがある

骨頭や骨盤の骨の位置を調整し、壊死部位を荷重部からずらす
壊死が拡がることは基本的にないため、健康な骨に荷重することで圧潰も痛みも防ぐ
詳細な接合方法などは専門的な書籍やサイトをあたってほしい

 これがうまくいけば再置換も必要なく、残った自分の健康な骨で一生を過ごすことができる。わたしも当初は骨切術を推奨されて、第一人者のいる病院に紹介された。
 ただ、骨切術も万能ではない。まず、わたしの症例を見返してもらえれば一目瞭然なのだが、壊死範囲が広いと荷重に耐えうる健康な骨頭部が残っていないので適用できない。せっかく第一人者に診ていただいたが、骨切は無理だね、とばっさり言われてしまった。
 それから、術後の経過が長い。後述するがわたしの受けた人工関節全置換術は、術後10日で退院できた。しかし骨切術は人工関節置換よりも多くの部位を侵襲し処置を行うため、退院まで8週間程度かかると言われている。そして無事にそれを乗り越えても、完全に痛みが取れなかったり、経過がよくなく人工関節置換になることもある。決して万能な手術ではない。
 一番の問題は、日本で骨切術を行える医師が、病院が少ないということだ。骨切とひとくちに言っても術式は様々で、自分に合った治療を受けようと思っても選択肢が少ない。
 将来に手術のリスクを残すのは不安かもしれないが、人工関節置換も選択肢として広く自分のライフスタイルに合わせた治療を医師と模索するのが一番だ。

人工関節全置換術“前方アプローチ”

 人工関節置換は、技術や術式の向上により劇的に患者のQOLを保つことができるようになった。
 わたしの祖母は若い頃、変形関節症でアメリカから来たばかりだという最初期の人工関節を入れたそうだ。その頃の人工関節はとても重たく、今とは比べられないほど可動域にも制限があったようだ。現在の器具は人間の骨とほぼ変わらない重さで、可動域も広く、使用限界も劇的に延びた。
 一昔前までは「後方アプローチ」という、臀部から股関節まで大きく切り開く術式が一般的だった。当然筋肉や血管、神経も一緒に切ってしまうことになる。安全だが、術後の経過が長く筋肉の再生とリハビリに時間がかかる術式だ。そこで、より低侵襲で術後の経過を良くする術式が生まれた。それがわたしの受けた「前方アプローチ」である。

従来から行われてきた後方アプローチ
臀部側から大きく切り開くため回復には時間がかかる

前方アプローチは神経や筋を傷つけずに小さな切開で行われる
筋肉が傷つかないので術後すぐからリハビリができ、回復が早い
後方アプローチより高い技術が求められるため、執刀できる医師が限られる

 わたしがこの難病に罹ったことについて唯一幸運だったのは、骨切術のできる医師の下に人工関節全置換術前方アプローチの経験豊富な医師がいたことだった。整形外科医それぞれが専門分野を持ち、股関節について専門的に扱う医療チームがあった。大学病院という利点を生かして術前検査も隅から隅まで院内で滞りなく済み(その結果脂肪肝と糖尿病が発覚するのである)、安心して手術を受けることができた。療養中に看護師さんも「うわー傷口キレイですね」「さすが執刀医先生」と笑っていたので、信頼関係のある病棟なのだということもよかった。執刀医直々に病室を訪れ、わたしの背中を支えながら歩行のリハビリをすることもあった。正直、術直後からの歩行リハビリはめちゃくちゃ辛かったが、それでも歩けるということに大きな感動を覚えた。

 もちろんいいことばかりではない。歩行機能はスムーズに回復しても、傷口は傷口なので普通に痛む。事前説明があったが、置換した方の脚は少し長くなる。その方が脱臼しにくくなるそうだ。そして、術後しばらくは脱臼しやすい脚の使い方をしてはいけない。
 万が一人工関節が脱臼した場合、骨の関節のように簡単に嵌めて戻すことはできない。すぐに救急搬送し、数人がかりで足を引っ張って直す。それでも元に戻らない場合は、再度手術をすることになる。たかが脱臼と侮ってはいけないのである。

全身麻酔、その感想

 最後に、誰もが一度は興味を持ったことがあるであろう全身麻酔体験について少し記しておく。
 全身麻酔にも種類があり、ガス化した薬をマスクで吸わせるのがテレビドラマなどでは一般的だ。画的に麻酔をしているとわかりやすいからだと思われる。対してわたしが行ったのは点滴式だった。文字通り、点滴のルートから麻酔薬を注入する。口元では酸素マスクをかざされて、深呼吸をするよう求められる。しかしこれがなかなか、薬というものの恐ろしさを身をもって体感することとなった。
 麻酔のお薬入れていきまーす、の声と共に、わたしの呼吸は浅く早く乱れ、視線の制御ができなくなった。眼球が軽い痙攣を起こしたかのように、コントロールができない。頭の片隅にある冷静な部分が、あ、これはダメなやつだ、という強い危機感を発する。それもそうだ、自発呼吸まで止めてしまう劇薬なのである。わたしの動揺を察した医師が、深呼吸してくださーいと酸素マスクを近づける。そこでやっと冷静になったわたしは、酸素を深く吸った。最後に聞こえたのは、すぐ寝ちゃうかも、という麻酔科医の言葉だった。

 程なくして、わたしの名前を呼ぶ声で目が覚める。執刀医が薬品に浸かった病変した骨を見せてくれたが、まだ視界がぼんやりとしていてよくわからなかった。そこから先は意識が飛び飛びで、気づいたら母親が安堵した表情で声をかけてくれた。病室まで来ることはできないのですぐに別れ、気づくと病室で酸素マスクをつけていた。特に夢を見たりはせず、一度呼吸が止まったという自覚もない。気管挿管の名残りで少し声が出しづらい程度のものだった。水分もすぐに摂ることができた。
 新鮮な体験だったが、特にこれといって面白いこともなかった。ただ、やばい薬が体内に入ってきたとき、身体は強い拒否反応を示すのだということがわかった。
 大きなリスク因子を持っていなければ、全身麻酔は怖くない。大人しく医師に従うのが良い。

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