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やったことあるとかないとか経験ていうものって。

 今日は何度目かのホームベーカリーでパンを焼いた日。
といっても、まだ出来上がっていない。
この、ホームベーカリーを使い始めてから
考えさせられた件がある。
体験についてだ。

言葉と経験をつなぐなら、
私はホームベーカリーでパンを焼いた
と言える。
しかし、振り返ってみるとしっくりこないことがある。

ホームベーカリーに、材料を計測して入れたことがある
が、最も正しい言い回しなのではないかと。
パンを焼く
そのイメージの私の中での最たるものは
オーブン またはオーブンに準じる器具庫内に
自分で計測し自分でこね自分で成型したたねを入れて
焼き機の中で膨らんでいくパンや火種をにらめっこして
出来上がりを待つということだった。

便利すぎる私のホームベーカリーでは
材料を入れると数時間後には焼きたての食パンが登場する。

これで、パンを作ったと言っていいのだろうか、
はっきりいって、作ったとしても
作り方がまるでわからない。

簡単になった、手軽にできることはうれしい。良いことだと思う。
しかし、その分、体験の差、その内容の落差は
いかばかりであろうか。

「おかあさん、パンってどうやって作るの」と子供に聞かれたら
とりあえず、
機械(ホームベーカリー)のやっている作業を伝え、粉もの食品の原理を調べ、一般的な?お店のパン作りについて伝える努力をしようと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーパン作りについて、そんなことを思ったわけだったが、
考えてみれば
家事というものもたとえば食器洗いなぞ、しばらくまとまった量を洗っていない。食洗器様様である。
そんなことを言ったら、ご飯も炊飯器…ということになる。
なるほど、アウトドアレジャーが非日常ではまる人がいる、という理由もうなづける。ちなみに今の私がキャンプに行ったら、ホットクックを持って行ってそこで調理するかもしれぬ。

私なぞの感覚では、
ワーキングマザーといえば、フルタイムの勤め人かそれに準じた働き方をしている人
というイメージだったが
今や世の中でワーキングマザーと大手を振ってアピールしている人は
自営業の方が多いのではないだろうか。それが売りになるということなのだろうか。
これは私の勝手な思い込みもあるが。

介護をしていると
いったとき、介護の内容もピンからキリまでで、
以前なら、要介護者と一緒の屋根の下で、多くの時間を過ごして
お世話をしている=介護している
というイメージが私の中ではあったのだが
実際には、
一緒に住んでいなくても、それこそ
外注の支持を別居家族が行い、要介護者がそれを受ける、という構図さえ取れて維持出来れば
介護をする人、される人という構図は成り立っていると言える
のが、現代の社会の介護の構図の一部ではないだろうか。

昔のイメージだけで物事をとらえてしまうと、
現代(今)の全体像(主流)がとらえにくくなってくるのだなあと

だから、
これくらいではやったことにならない、だとか
もっともっと頑張っている人がいるから自分もやらねばとか
そういった厳しいとうか人がどうだから、といった基準で
物事をかんがえてしまうと、自分の望んだ生き方から遠ざかってしまうのかもなあと
いつの間にか考えていました。

パン作りから思考が発展いたしました。

なるほど、
「人間は考える葦」

ってか。

では、明日の朝のパンの出来具合を楽しみにして。

おやすみなさい。