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【ひとりごと】相手を見て自分を知る

とある、ひとたちとのグループラインが、せわしくなった。
病気にかかって入院していたと。
臨死体験だった。助かってよかった。と。


ええと、臨死体験とは、
三途の川とか、お花畑、とかのことですか。
上から自分をみてる、とか
いや、ちがうらしい。
まだ、病気により不調のどんぞこで、おそらくは
病気の特性により呼吸がうまく機能しない状態で
いしきもうろう、
死にそうになったという話のようだった。
いきおい、
学生時代(20年以上前)の話になる。
あああ、いいいや、ええええと、

なんというか、
結論

思いもよらず知人を心配したり、心を寄せたりしてラインをよんでしまった。
すると、こともあろうに、
私だって〇〇だったのだから…アレヤコレヤ…
!!といいたい!!いいたい!!うううう、でも
いま言ったら、タイミングがあ~。
悪すぎる。でもここで逃したらいうタイミングは一生ない!けど
そんなこといったところで自慢にしかならない。
私は当時自慢したくて頑張っていたわけではない。
自分のために、自分の未来のためにがんばったのだ。
しかし、彼女は未来のためにというよりもうんぬんかんぬん…以下略

ぐるぐる思考。

と、そこに、つんどくの低い方(最近の塚)から見つけました。

「心が楽になる ホ・オポノポノの教え」

しゃあ、こういう時は適当なページから開く。

「まず自分自身のケア。次に考えるべき存在は家族です。その他の人はその後考えてください。」

へえ、わかりやした。そのとおりでやんす。
そうして、ぱらぱらとめくるうちに、
おっと、私は、このラインの主のお話に
自分の経験を重ねこんでしまい、感情移入しすぎたようだった。

そして、私は、
人が死にそうになった、という話でさえも
場合によっては人としてあまり共感的な反応できない人間だ、と
認めざるをえない。

でも、もしかしたら、その子が昔私に何の気なしに言ってた
・食洗器使ってるって、家事あと何やってんの
→その頃は毎日12時間以上働いてた。家事の入り込む隙間はなかった。
土日は明るいうちに帰れるからまだいい、と自分を納得させていた。

・赤ちゃんは生まれたらおしまいだよ。いまのうちに自分の時間楽しんで。
→妊娠中に言われた言葉であるが、被災実家のお世話まであったので、生まれる前からおしまいであった。が、面と向かって言われるとつらいものが。とどめは親の手伝いがないと無理、の呪いの呪文である。そーかそーか、親の手伝いなしで産むのは無理難題ということなのか…。
ある意味これが私の臨死体験だったか。

環境が違いすぎると、当たり前の常識で相手をKOできるってもんだ。
オトナだから蒸し返したりはしない。…つもりだが。

いまだに回想できるってことは、結構なショックだったと認めよう。
しかしなあ、いまさらだけど
彼女の言動に勝手に振り回されながら、
ああ、私、辛かったんだなあ、うらやましかったんだなあ。私は持ってないもの。ないから自力でつかむ苦労を負ったのだもの。でもわかる。自分でやって、人にもまれた分は確実に、血肉になっている。
彼女は努力はしたかもしれないけれど、その先自力でつかむ苦労はしていない。やっていないから、「まだできるかも」という、夢を見ている。夢をみながら、思いつくまま話しているだけ。それに振り回される私。
どの部分に振り回されているのか見てみな。
じっくり見てみな。

彼女の本の、脇役になりたいの?
自分の本の、主人公になりたいの?