月モカ_181112_0099

月曜モカ子の私的モチーフ vol.189「ロマン」

ときどきこの月モカにもふんわり”スピリチャルM“として昨年「ユカワさんのシリーズ」の時なんかにも登場しているわたしの友人であり霊能者(整体師)がいる。
彼女とわたしはもう13年の付き合いになるしその間にわたしは他のにもそういう視える人たちとの接触が結構あるのでーー不思議とその人たちは突如として目の前に現れわたしの軌道を修正しまた去っていく。笑。びっくりすることに土曜バイトのワインBarとかに閉店まぎわにふらっと入っていたカップルの片方がそういう人だったりとかして出会いはいつも唐突であるーーそういったものが存在することを感じているし、そういう人たちとたくさん会ってきた上でもスピリMはダントツにすごいなということを感じている。

                          
一つ言えるのはそういう人たちというのは少し見えている時間軸が先で、その地点を見ながら何かを言ったりするのだけど、だいたい占いとかに行く人って「今の悩み、今の課題」を解決したくて行くし「今の自分」が納得行く答えが欲しいから、その時に彼女が言うことが望んでいた答えじゃない時に、全然的外れ、いわゆる「当たってない」感じに聞こえてしまうことがある。
いい例で言うとわたしは彼女と出会ってから3年ほど会うたびに「あなたは書くのが向いているよ」と言われ続けていたが、それらを全く!的外れなアドバイスと思っていた。役者になるって言ってる人になんで書くことを勧めてくるんだろう、って。
向こうも向こうで、言うことを聞かないくせになんでちょこちょこ会いにくるんだろうって思って、互いに多少険悪になることもあった。けれども結果的に今自分は小説家という職業をしており、細くではあるが仕事を頂き続けて今年10年目を迎えているのである。笑。

彼女が言っていることというのはスパンが結構広くて、数年かけて「あの時彼女が言ってたのはこういうことなんだなあ」とわかることも多いし、
自分自身が最近では占いとかそういったものって「当たる」「当たらない」とかってジャッジするつもりで行くものじゃないんだって理解している。
懐疑的になりながらそこに行っても何も生まれないからである、すべては自分次第だから。
「言いようによっちゃどうにでも取れる言い方だよね」と懐疑的になってしまえば、逆を返した時、取りようによっちゃ全部インチキみたいに自分が解釈してしまうからなのである。だから重要なことは「じぶんがなぜ、何のためにそこに行くのか」であって、その目的は絶対に「相手の能力の品定め」ではない。

                          
同時に、スピリMレベルの霊能者になると、彼女の周りで起こっていることを、これだけ理解のあるわたしでも理解するのは難しい。
「昨日は家康に呼ばれて増上寺行ってきたワー」とか言われてもビッグネームすぎてすぐには信じられない。笑。

                          
だからわたしはあまりディディールを理詰めにして考えるのではなく、彼女はそういう世界で生きているんだな、と友人として理解することにしている。
そこに“ほんのり”肌感覚で共感できるところがあるのも事実で、わたしは9月にひと月滋賀にいた流れで、手塚治虫の「火の鳥―太陽編」をめぐる旅@滋賀を、母に付き合ってもらってやっているうちに、手塚治虫は古事記や日本書記にもかなり造詣が深いことに気づき、物語の本質を理解するにはそこいらを掘り下げないといけないのだなぁと考え(例えば「火の鳥」では“猿田彦”が未来でも猿田博士としてかなり重要な役として登場するが、なぜ数多の神々の中で手塚治虫は“猿田彦”に照準を合わせたのか、など)
個人的に壬申の乱以前の日本の神道を研究していたのだが、それって必ず「出雲」の扱いの話になっていく。
                          
そのタイミングでスピリM(彼女は松江の生まれ)が、出雲をめぐる資料を貸すし貸してみたいな話があって、先日はわたしと彼女とすぐ下の妹あやめっくすとあやめっくすの旦那さんとお茶をしたりした。

                         
「あやめちゃんは勘があるから」といつもスピリMは言っていて、実際霊感
ぽいものが、めっくすにだけあるんだけど、そのめっくすが、「こちらのモカさんが、たいしたスピリもないのにいかにもスピリっぽく振舞われていることにどう思いますか」とスピリMに笑いながら聞いており、
スピリMは「この人はスピリというか小説家だから憑依系で、いろんなものが出たり入ったりするんだけど、神様てきにはそういう使える肉体も必要だから」と答えており、
めっくすは「使われる肉体」というところにプププとウケており、「だから変なのが入ってる時めっちゃ会いたいくないんですよ」
とスピリMに力説、スピリMがあーわかるわかる、ユカワさんとか暗くて嫌だったとか、わたしに入っていた過去の変なのの悪口を言ったりしており、わたしはそれを一部じぶんの悪口のようにも聞こえて多少機嫌が悪くなる・・・し、とかあったんだけど、笑、わたしが今日ここに書きたかったのはそれではなくって、

                          
実はスピリMが近頃出雲によくお帰りになっている理由としてお父様が亡くなられたというのがあって、
わたしはやっぱり父親の死ってすごく大きな事件だなって思っているから、なるべくその話題はそうっと大切に扱うようにしていたのだけど昨日彼女が、
「父親死んだからさ、生きてる時より話がわかるようになって前よりすっごいいい関係になった」と言っていて、
なるほどそういうのがあるのかと思った。
                          
彼女のご実家では視える人は彼女しかいないので、だいたい家族には変な娘みたいに思われているから、彼女が言ういろんなことが「お前は何を言っているんだ」みたいになっていたらしいのだが、この度お父さんが「ようやくお前が言ってたこととかわかったよ」ということでいろんな話がスムーズになって誤解もとけたし、49日まではかなりウロウロしているから、いつでもいろんな話ができるのだということだった。
                          
それっていいな。と思った。

                          
大切な人が亡くなった瞬間って、もう相手と話せなくて、もう相手が動かなくて、もう会えないっていうのがものすごい喪失感で、いつまでも寂しい。

                          
でも、そんな能力があったら、相手がちょっと「透明人間」になったくらいの感覚で、そばにいることは感じ続けることができて会話もできて、いいなあと思った。

                          
もちろん当然、肉体を持つ父親との惜別というものはあったのだろうし、ごく普通の人の弔いとして、涙を流したり、一通りのお見送りはあったのだろうけれども。
でも49日間ほど、まだ色々話したり、生前に聞きそびれたこととかを聞いたりできるのって、羨ましい。
ちょっとロマン。幾つかの別れをこの数年で経験したじぶんは、その時ちょっとスピリMを羨ましく思いました。

                      (イラスト=MihoKingo)

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。

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