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第6回 #レディオイーディ(黎明期)「”愛の季節”を待つ3月、パリ、フランス、根津の、芸術ではないモカ酒場にて、ギリシャ。」by "わたしと音楽、恋と世界"

ええとこれは「レディオイーディ黎明期」という信じられないくらいマニアックなYoutubeレディオ番組の、読むアーカイヴです。
何かわかりやすい面白さがあるものではないので(奇妙な面白さはある)忙しい人は読まなくていいと思われ。笑

どうも。このマガジンの更新がこの回をupした2021年3月11日で止まっていたようだ。正直この黎明期をそんなにガチにfollowしてる人なんて誰もいないと思っているんですが、アーカイヴものが途中でなんか途切れてるっていう状態がとても気になるタイプなのでね、そして今やってる「レディオイーディNezuU🌈」のアーカイヴもゆくゆくしていくことを考えると、
この「黎明期」の方をまずはちゃんとアーカイヴし終えなければな、と思ってようやく2022年1月、続きに着手。

↑再生はこちら。

👋🌝 感想およびアーカイヴ総括
現行の「レディオイーディNezuU🌈」の相方で俳優の石川シンから「凄まじい芳ばしさ」と評されている(一応褒め言葉らしい笑)この黎明期ってわたしも好き勝手暴走しまくってるから時間を置いて見るとかは、ちょっとした化け屋敷より怖かったんですが笑、
なんか久しぶりに観たら割と面白くて(笑)
面白いっていうのは内容が面白いっていうよりは「そうそうこういう、誰の目も気にせず誰にも媚びないような自由な疾走、したかったんだよね」
「そんでそれ、できてるじゃん」
て、思った。笑。
しかも後半喋ってることは今もだいたいそう思ってることだし、まあ総じて、ひどい録音環境であること以外は、悪くなかった。

あとどんどん更新してる最中は「音楽をバカにして見えないですか!?」「バカにしてるんじゃないんです😂」ってことをなんかすごく気にしてたけど、今これを見返すと一言で言うとこれ「喋り番組」だし、
演奏や収録環境とか見ればなんていうか、音楽について何か言うほど、土俵にいないっていうか・・・笑
まあ昔おじいちゃんが枕詞が「我悲し」と「我嬉し」しかない俳句を頑張って書いてたことがあるんだけど、枕詞それしか持ってないおじいちゃんに誰も「俳句舐めんな」って言わないよね、ってことです。笑

👋🌝 レディオイーディNezuU🌈とは
2021年9月1Q日から始まった限りなくラジヲに近いYoutube番組。
番組はほぼ音声で進行する【ON AIR】とそれを動画で振り返る【OFF AIR】を交互に配信。丑三つ時ジャナイ日曜2時に毎週放送しています♫

それの前身番組としてこの「黎明期レディオイーディ」があるのでございます。この黎明期は自由に暴走、今の現行番組は、相方の石川シンの才能が炸裂したおかげで普通にプロフェッショナルな音声環境で録音、配信しているので、ずいぶんちゃんとした番組になりました。

👋🌝 本動画の概要

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■冒頭
ギリシャラブの楽曲で始めてますが録音状態がすごい悪い。
あとギリシャラブの方もこんなおかしな番組に自分らを取り上げられても困るかもしれないのでこの話はあまり拡張しないですが、ギリシャラブのライヴにはこの後9月に生まれて初めて行きました。

「ブエノスアイレス」退廃的な歌詞がとても好き。

ギリシャラブの代表曲というのかな?「愛の季節」が同じくギリシャラブの「パリ、フランス」という曲となんか似てる気がするんだよね。
それで動画のラストは「パリ、フランス」を弾いています。
フランクフルトへ向かった冬の「東駅/ガール・ドゥ・レスト」を思い出しながら......。

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冒頭〜17:00は雑談しかしてません。スッキリ!の加藤さんを毎日見ながらMCの参考にしてる、etc...

なおこの「黎明期レディオ」は、わたしが2021年にノーランを再度観まくって発見した「It's me論」をそもそも長い時間をかけてお伝えするってコンセプトだったので17:00〜もちらっとそれについて話してるけど、結局、新番組が始まることになったからこれ解決してないんだよね。2022年も実はこっそり黎明期を継続しようかなぁと思ってるからそこで話します。

■中盤(21:00〜29:00)
2019年に出会って、そこから仲良くして頂き昨年なんかさらに仲良くさせて頂いた近所の大巨匠「桃と蓮」のマスターから「芸術って言葉を使うと色々ややこしいぜ」とアドバイス頂き”芸術酒場”を”モカ酒場”に改めた、
という話。なんかこの中盤、は、割と聞いてて興味深いテーマではあるかも。退屈ではない気が。

↑「桃と蓮」はこんなお店です。

ここでわたしがアラビアで学んだartの語源について話しています。
だからわたしは芸術=生活だと思っていること。
だからなんていうかこの頃「生活と芸術を切り離すような批評」にうんざりしていて、小うるさいこと言ってくるやつや自称表現者たちのありとあらゆる、覚悟のない傲慢さに疲れて、なんだかすごく怒っています。でもこれって正当な怒りだったって、今は思っている。

日々を生き抜き明日を迎えるために芸術(アルス)があるならそれはもう享受し放つことがすべてであり、誰かのジャッジを必要としない。
どうですかみなさん、ますます2022年の今、そんな生活のためのアルスが我々に必要な気がするし、芸術や表現という言葉が「生活」という意味に、去年よりなってきたのではないかしら。

■終盤(29:00〜ラスト)

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(↑2006年 paris)ナオミと。

とにかくこの頃のわたしは怒ってて、このアルス論についても怒っています。なんか、平たくいうと、店をオープンしてから「芸術をやっている」という人に芸術酒場としてなるたけ寄り添ってきたんだけど、
正直、勝手なやつらが多かったなという話。2019年11月に大先輩の写真家さんたちの「巨匠たちの写真展」をやりましたが、この時が一番、全てがスムーズだったし、みなさん人間としても素晴らしかった。
芸術家は勝手をやっていいわけじゃない。
まず人としてまともであれよ👊💢って思ってこの時すごく怒ってたんです。

でもこのことに関しても「桃と蓮」のマスターにも伝えましたが「わたしの胆力のなさ」が敗因だったと思うと伝えました。マスターの返事はこう。
「そうだよ、お前さんそれわかってんのか。だったらいいや」

36:00〜は今後ゲストとか呼んで行きたいという話をしてます。
「レディオイーディNezuU🌈」が始まったり「ある時節の終わり」という作品が仕上がったりしたので、わたしの発言を後付けと思ってる人たちもいると思うんだけど笑、この動画で言ってる「時がきたらモノ自体のビジュアルや仕様は勝手に洗練する」ということと「枠としてのレディオ」っていうのは正直第1回から考えてやっていたんだよね。
この黎明期「ただただわたしが一人で喋り倒して最後に下手な演奏をする映像番組」の仕様を最後まで続けるのが目的じゃなくて、これをシクシクとやっているとどこかで第2形態、第3形態って変態していくはずだと考えていた。変態させることがそのうちできる、とも。
それで「がんこエッセイ」のことを引き合いに出してます。

結果、黎明期レディオ、最終話は大化けして第二形態になったよね。
その後「レディオイーディNezuU🌈」が始まり、現在第3形態まできているのです。そうそう「レディオイーディNezuU🌈」の最後の「音楽の部分」あれ要らないって思ったりアドバイスしてきた人いるんだけど、あれは今後第4形態や第5形態にしていくために絶対必要な枠なんです。
どういうことが起きると思う? 想像してください笑。

↑第二形態に突然変態した黎明期最終話。

最後に。
37:00〜「売れるために小説書いてこなかったんだから」
って話をしているね。そうなんです。
そんなわけで2021年はその「売れるために書いてこなかった」12年間の作家人生を変換、「いいものは勝手に売れていく」という宗教を卒業し、
売れるための小説を書き直し続け、2022年1月現在、
新作「宵巴里」がもうすぐゲラになるところなのであります。

それではいよいよ次回のアーカイヴはVOL.7そしてVOL.8の前編後編へ続いていきます。3月31日に志磨さんのライヴがあって、その翌日が誕生日、その翌日4月2日に太宰賞の結果が出て我が傑作「わたしと音楽、恋と世界」が、第一次選考すら通過していなかったことがわかります。
その前後の感情の中で更新してるから割とエモい感じになっていきます。

(⚠️エモに耐性の無い方、ご注意ください。笑)

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楽曲は満を持して志磨さんの曲を♫
それでは次回アーカイヴでお会いしましょう。

で、はーーーーーー👋👀


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