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29歳からの英語学習📖暗闇に向かって走る

真冬の公園のベンチに座って近くの商店街で買ったお弁当🍱を食べながら、過去のことを思い出していました。

とても美味しかったです♪

今から、約24年前の1999年、私は当時29歳でした。私は人の少ない郊外の公園のベンチに座り、NHKのラジオ続基礎英語や英会話入門のテキストを握りしめて、小声でテキストのスキット(会話)を50回音読するのを日課にしていました。50回音読すると50分かかりました。
当時は、スマホも携帯電話も無い時代だったので、ヒマだったんですよね。

弁当を食べた公園

当時はYouTubeやインターネットも今ほど普及していなかったので、ラジオの音声だけが頼りで、正しい発音方法を知らず、力みまくって発音していたため、口の周りが筋肉痛になっていました。当時の私の英語は、本物の正しい英語とは全く違った、ただの雑音でした。

当時は自分がPTSDだとは全く知らずにひどいフラッシュバック(陰部がひくひくするような)や解離(記憶障害)に襲われながらも、いつも死にたいと思いながらも、そんな苦しみから逃れるように、救いを求めて、英語が話せたらもしかしたら、楽になるかもしれないと無知無学なアホゆえに、突拍子もない思いつきと思い込みから、自分が機械、ただのマシンになったように、脳では覚えられないので、口の周りの筋肉に馴染ませるような、筋トレのような、全くの手探りで英語の勉強を始めたのでした。

あの頃の、どうしようもない孤独感と絶望感をなんとか克服したいと勇気を振り絞って、当時は雑音にしか聞こえない英語という得体の知れない暗闇に向かって盲目のまま、方向もわからずに走り始めた、あのどうしようもない孤独感と絶望感に押し出される時に発せられる、凄まじいパワーを思い出すと、今でも涙が溢れてしまいます。

昼時でしたが、寒いので人が少なかったです

当時、英語も勉強も全く出来ない、底辺高校とFラン短大をビリで卒業した、立派な劣等生でした。どもりながらうつむき加減で自信なさげに話す私は、地元では『障がい者のような子』と呼ばれていました。非常に頭の悪いわたしが、約10年後にアメリカの四年制大学を平均よりも良い成績で卒業する未来を当時は誰も、私自身も、全く想像できませんでした。

🌱🌱🌱

自分の人生を振り返ると、いくつかのターニングポイントがありました。

人気の無い、冬の寒い公園で、たったひとり、得体の知れない暗闇の中から、訳も分からず雑音を必死で発し始めた時、何かが生まれていたと今になって気がつきました。

あの時、

私の人生を変える、情熱が生まれていた。

情熱が生まれる瞬間は誰にも分からない。
後から、あの時そうだったんだ!と気付くものなのかも。

🔥🔥🔥

英語を学ぶ過程で、さまざまな出会いがありました。アメリカで大学を卒業するまで、日本の家族を始め周囲の人々は、留学なんて甘えだ!と言って、誰も私の学びに賛成してくれませんでした。学費は当時一千万近くの私の貯金と奨学金、大学4年の時に親から百万円を出してもらい、無借金で賄いました。

私は、自分自身にも分からない暗闇に向かってひたすら走り込むように学び続けました。

そして‥

今の私は24年前とは見た目も中身も別人のような人間に生まれ変わりました。

当時は人に囲まれていても、誰にも理解されない孤独を感じていました。

今は、すっかりぼっち生活に慣れてしまい、ひとりで行動することがほとんどですが、自分の本音を話せる仲間が出来たので、当時のような絶望感は無くなりました。

やはり、自分のことを日本語と英語で話せるのは、自分の孤独な悲しみや不安を癒してくれます。

あれから24年、今日も暗い道を歩きながら、電車やバスの中でYouTubeの英語発音番組を見ながら、音だけ聴いたりしながら、様々な方法で発音練習をあれこれ試しながら継続しています。

今は、23年前と比べるとずいぶん肩の力が抜けた状態でリラックスして練習に取り組めるようになりました。

今日も、ひとりで雑音を発しながら暗闇に向かって走り続けています。暗闇は怖いけど、魂の刃先を研ぐために私には必要な作業になっています。

暗闇の中を、私がどこに向かっているのかは、誰にも分からないけど。

電車やバスの中で、白髪混じりのビンボー臭いおばちゃんが、スマホから有線のイヤホンをして一心不乱にマスク越しに口を動かし続けている奴がいたら、たぶん、暗闇に向かって走っている最中の、私です😅😅

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