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メリークリスマス

彼はショッピングセンター内の洋菓子店で店長をしている。
だが、売り場でケーキを販売することはなかった。
その洋菓子店はショッピングセンターの直営店の為、運営会社の1人が"担当"として店長を担うのだ。
数ある業務の1つとして。


彼は今日、女性の客に嘘をついた。

10代後半か20代前半の、髪を肩の下まで伸ばした女性、服装からして仕事帰りのように見えた。

「お客様、大変申し訳ございません。ご予約頂いていたミニチョコケーキなのですが、大変申し訳ないのですが店舗の方で管理ミスがございまして、」

若い女性の客は目を見ずに少し笑った。
店長の彼は続ける。もうトレーの上には代金が置かれていた。
しかし続けた。

ショーケース内のクリスマスケーキはとっくに売り切れていた。

また、手に持っている予約表に名前が書いてあることを思い出した。

「アダチ様、誠に恐れ入りますが、弊館には他にもケーキを販売している店舗がいくつかございまして、誠に申し訳ありませんが、代わりにそちらの店舗のケーキを、お選び頂いて、代金はこちらが負担いたしますので、このようなご対応をさせて頂けないでしょうか。後日、店舗にご連絡を頂ければ本日ご予約頂いていたケーキも無料でお渡しいたします」

顔の高さを女性に合わせるような姿勢で、背を曲げながら、早口に言った。
いかにも慣れていない、そしてクレーム対応などは普段していないとはっきりとわかる口調での伝え方だった。

アダチという女性は、諦めたように笑いながら
「あ、ならいいです。キャンセルしてください」
そう言って、金を財布に戻し、足早に去った。

食品売り場内を過ぎ去る姿を目で追いながら、店長の彼は早足に追いかけた。
「そうですか。」と返事をしてから10秒もたっていなかった。

本当はミニチョコケーキは店舗にあったのだ。
冷蔵ショーケースの中には"アダチ様"と予約票が貼られたミニチョコケーキが丁寧に冷やされていた。
だから、彼は追いかけた。頭の中は既に罪悪感でいっぱいだった。今日は12/25だ。
「アダチ様、少々お待ちください、もう一度、店舗の在庫を確認して参ります。その場で、少々お待ち下さい」
アダチという女性は洋菓子店から2ブロック離れたベーカリーショップの前で彼に言われた。

「お客様、ケーキ、ございます。お渡しできます。」
「いや、でもいいです。」
「いえ、あの、予約のケーキなのですが、1つありまして、そちらがこちらのスタッフのものでしたので、お渡しできます、こちらで確認をいたしました。本当に大丈夫です、どうぞお持ち帰りください。いまこの場で代金を頂ければ、お釣りとレシートもお持ちいたします、ポイントカードは、」
「いや、本当にキャンセルで大丈夫です」
「いえ、こちらもそういうわけにはいきませんので」

アダチという女性も、店長の彼も罪悪感に苛まれた顔をしていた。
スーツケース片手に満員電車に乗車してくる客と同じ顔をしていた。

「じゃあお店までいってお金払います」

彼は頂いた代金からお釣りを手渡した。アダチという女性は帰った。来店してからケーキを持ち帰るまで5分程の出来事だった。

「蓮田さん、本当すいません」
店舗の女性パート社員が謝った。蓮田が彼の名前だった。
「いえ、いいんです」
蓮田はアダチ様に嘘をついてしまったことの罪悪感で胸が苦しくなっていた。

管理ミスがあったのは本当だ。だが、それはアダチ様ではなかった。もう1人の客のケーキがなかったのだ。予約票がないため、その客が何時にくるのかもわからなかった。
予約のリストには"仲村"という名前だけが書いてあった。

来客のピークが過ぎた18時過ぎ、予約票の枚数とショーケースに残るケーキの数をパート社員が確認した時にミニチョコケーキが1つ足りないことに気づいた。
それからすぐに5Fの事務所にいる蓮田のもとへ連絡があった。

蓮田は手際よく他の洋菓子店へ事情を説明し、仲村様が来店した時に、代用品として選んでもらう用のケーキを取り置きしてもらうよう依頼した。
どの店もすぐに承諾した。蓮田は普段から他店とうまく関係性を築いていたのだ。

そして蓮田が店舗へ到着した時にアダチ様が仲村様よりも先に来店した。

蓮田は少し迷った。そして嘘をついた。


アダチという女性が駅の方へ姿を消すのを確かめてから蓮田は事務所へ戻った。

彼は同僚に、起きた出来事を話した。詳しく話した。そうすることで胸の中を支配する罪悪感が少しでも解消されると思ったのだ。

先輩社員の伊藤が、蓮田の話を遮って言った。
「うん、俺でもそうしたよ」

蓮田は泣きそうになっていた。
伊藤の優しさや、嘘をつくことでアダチ様のクリスマスの夜を汚してしまったことが苦しかった。

退勤後、蓮田は恋人へ向けて、トラブルがあって残業したが今から帰る旨の連絡をした。

恋人の家へ向かう電車内で蓮田はもう一度、泣きそうになった。

大切にしている有線イヤフォンからはケニー・バレルのホワイト クリスマスが聴こえていた。


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