またここに戻ってこれた幸せとともに渇きを癒す一杯

人見知りでコミュ障なもんで、気の置けない友人と飲み食いする空間にはかえって安心感を感じて、大学時代のサークルのような大人数の飲み会でさえも知ってる人であれば、あの空間の熱気は好きなのですが、
そのイメージが強いのか、「最近はアルコールは一杯でいいと感じるようになってきている」
と、口にすると周囲に驚かれることが多々あります。

もともとお酒に強いわけじゃないのに、確かに大学時代は口下手に起因する沈黙をごまかすためもあって飲んだり騒いだりしていたし、それがその場の楽しみ方だと思い込んでいたわけです。
社会人になってからも、なんとなく大人になったふりのような会話をして、その実、わかった風に中身の特にない話や愚痴を言うためにお酒を使っていたように思います。
それはそれで後悔しているわけではないのだけど、もっと違うコミュニケーションもとっておくべきだったと感じているのが本音です。

周囲が大人になる中で自分はライフステージを変えられず、当時の職場で働き続けることに疑問を感じて、特に先立つものもない中、30歳で仕事を辞めたのがちょうど2年前の話。
その後、なんとなく好き勝手にフラフラしつつフリーター生活を経て、今はウーバーイーツの配達員をしながら、改めて手に職をつけるために勉強中。

個人的には、前職の店舗の予算や接客に頭を悩ませるのではく、自分の将来や健康、生活リズムに気を使えるようになって満足しているわけだけど、
正社員からフリーターになった手前、世間体を気にしてしまう感情からは逃れられず、疎遠になっていった人たちもたくさんいます。

そんな身の上話とアルコール離れが重なって、お酒の席から遠ざかっていたのですが、
つい先日、2年間会ってなかった大学時代の先輩から野球観戦に誘われて久しぶりの再会。なんていうドラマチックな響きは似合わない30歳を過ぎたおっさん2人なのだけど。

先輩と同じく久しぶりのドームはコロナ禍の新しい観戦スタイルで、かつての熱気や盛り上がりはないけれど、その空間はお互いにとって好きなもの、時間をおいても変わらず話ができるスポーツと向き合うことで、自然に自分の話もしやすくなるという具合に、実は再会に最適な空間でした。

野球を観ながら生ビールを片手に、自分の身の上話を笑って聞いてくれて、生存確認だとか言って大学卒業後もよく集まっていた仲間うちにLINEで写真を送って、
それに反応してくれる友人や後輩もいて、「また集まろう」なんて盛り上がったりしてて、自分はなんかバカなことばかり気にしていたな……と。

昔は、そうやって皆を繋いでくれる先輩に少なからず嫉妬もあったけど、改めて今考えるとただただ感謝しかない。
それと同時に、そういう機会を作るきっかけになったわけだから、自分のグダグダなこの遠回りにも或いは価値があるのかもしれないなと。

他の友人とも再会の時には、自分が知らない、友人たちの今の生活について聞いてみたいこともいっぱいあるし、その時は沈黙を埋める道具としてではなくお酒をお酒として味わえるんじゃないかな、という希望を抱いた1日だった。

もしかしたら、このまま今の生活を続けたってみんな受け入れてくれるかもしれないけど、ここに胸を張って戻ってこれるようになりたい。

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