『ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー』は『映画版ドラえもん』ではないだろうか?

遅ればせながら、話題のオリビア・ワイルド初監督『ブックスマート』をみてきました。日本だとクドカンにもとめられてる「くすっと笑えて、最後は泣ける」みたいな映画なんですが、これだけ絶賛されてるのは、そういう安っぽい宣伝文句が失礼になるほど、青春映画特有の「キャラ化」から登場人物を自由にしてる演出だし、役者さんの演技だからではないかなーと。(クドカンの映画、ドラマも単に笑えて、泣けるじゃないのに、そういうふうに世間認知されてるのは、ちともったいないと思ってます。)

主人公二人の存在感がよい。

"おはなし"としては名作『スーパーバッド』の女子高生版。

卒業最後の日に、主人公の一人が自分だけスーパー良い大学にはいれて、遊んでたイケてるお前ら(クラスの友だち)ざまーみろ!と、おもったら、彼ら彼女らもスーパー良い大学にはいってて、何してたんだ自分? 最後のパーティだけでも楽しんでやるぜー、となって、なんやかんやある映画です。

ちなみに主人公の一人はジョナ・ヒルの妹だったんですが、皆さんおっしゃるとおり、めちゃ似てる。容姿がというより、たたずまいが。個人的には手の動きだけ見せられたらどっちがどっちかわからなくなるだろうなーってくらい仕草が似てた。特に『マネー・ボール』のときのジョナ・ヒル。

女子高生二人が主人公で、ひとりはこのジョナ・ヒル妹さんですが、もうひとりもすごくいい俳優さんで、変なロボットダンスをおどってました。このダンス、ものすごいいいシーン。

けっこうキャリアもあるんだなー。

ユートピアになった「学園」。そういう意味で青春映画の革命

いろんなメディアとかtwitterで言われてるけど、この映画が『アメリカン・グラフティー』や『ブレイクファストクラブ』の系譜として革命的なのは、スクールカーストがほとんどないこと。自分は"アメリカの現代の高校生"ではないのでリアルかどうかわからないんだけど、カーストの上位にアメフト・マンがいて、トロフィーとしてイケてる女の子がいて、ナードたちは彼らから隠れていろいろ企んでる、最近だと『ストレンジャー・シングス』みたいなよくある典型がない。ただ、みんなが個性があって共存してる。LGBTQの子も、オタクもガリ勉も。

なのですごく映画を通して感じるのはユートピア感。酷いミスを犯しても、場違いな発言をしてもそれがトラウマにならないくらいに、多幸感に溢れた雰囲気が映画全編で漂ってるんです。そういう意味で、逆にリアルな高校生活からほど遠いんじゃないの??と勘ぐりたくもなるくらいのフラット感。もちろん個人は自分の存在のついて悩んでるんだけど、価値の違う人々が1つのクラスに大きな摩擦なく過ごしてる学園モノ。まあ、たしかにこれは青春映画として革命だな。。。

決められたキャラに悩む、離れる、受け入れるクラスのみんな

最初にこれを見たときに思ったのが「映画版ドラえもん」。

ジャイアン、スネ夫、シズちゃん、出木杉、ジャイ子。15分一本勝負のTV版では、みんなが当てはめられた「暴力者」「いやみ」「優等生」というキャラを誠実に演じてますが、映画版になるとそれぞれが本当の自分、というか主人公(野比のび太)が気にもかけていなかった側面が見えてくる。

もう、これだけ映画版がつくり続けられてると「映画版のジャイアンは、男気のあるいいヤツ。スネ夫は機転の効くエンジニア」みたいな新たなキャラ定着が進んじゃってるんですが、初めて映画のドラえもんを見たときのクラスメイトの本当の姿(のび太が見ていなかった姿)に、ものすごく"深い"ものを感じたのです。

『ブックスマート』では、2時間の映画の中で10人以上のクラスメイトがLGBTQ、オタク、ガリ勉など「定型化したキャラ」を演じつつも、「主人公が見てこなかった姿」を表すのが、ものすごくジンワリくるのです。初めて「実は臆病だけど、いざとなるとのび太のために立ち上がるジャイアン」を見たときのように。これが、最初に映画版ドラえもんの面白さを思い出した原因なんじゃないかなと。そういう意味だと、もはや映画版の野比のび太を囲む人々のキャラが定型化してるんで、そろそろなんか新しい展開をみせてくれて、映画版ドラえもんの革命を起こしてもらいたいタイミングなんですが。。。

あ、ちなみにレイア姫の娘が演じたZiZiはワイルドカード的な存在で、定形キャラも主人公が知らないキャラもゴチャまぜで、映画のいいスパイスになってました。

そうなると主人公二人ものび太とドラえもんに見えてきた

そんなことを考えながら、色とりどりのクラスメートを堪能してると、だんだん、主人公二人が「のび太とドラえもん」的バディに見えて来てたりもしました。

どちらが「ドラえもん」、「のび太」というわけでなく、お互いがお互いを道具じゃなくて、相手にはない自分の性格や個性を使って助けていく感じが、ものすごくひみつ道具で助ける/助けられる、そしてその道具のせいでひどい目に合うみたいな流れのコメディーを感じました。たまにポルノ動画とかの道具も出してたけど。

あと、ある呪文をとなえると、絶対にお互いに従わなければいけないという二人のローカルルールも、「ぜったい一回だけだから、その道具つかわせてー!」というのび太の必殺技に見えるし。さらに、変なロボットダンスが自分を卑下した発言をしたときに「私の友達を悪く言うな!」と、ジョナ・ヒル妹がロボットダンスをビンタするとか(ことばで表現しづらいので、見てください)、ドラえもんがのび太に「もっと自信をもてよ、のび太くん!!だから君はダメなんだ!」と泣きながら起こってるシーンを思い起こさせる。

特にラストシーン。ネタバレになるので詳しく言えないけど、すごく、ドラえもんの最終回っぽいんですよー。ドラえもんの最終回って星の数ほどありますが、一番、好きな最終回。机の引き出しが開いてるラストシーンみたいな感じ。ひょっこり戻ってくる感じ。。。もうネタバレ。

でも、ほんとにこのラストよかった。「しっかり笑えて、最後に泣ける」みたいなバカにした表現が許せるくらい、グッときます。これはやっぱり主人公ふたりの物語で、クラスメートの本質ばかりをみてきた2時間の間に、そのクラスメートを通して、二人の内面を追体験してたからこそくる「グッと」なんだなーと。二人のパーティをめぐる冒険を通して、クラスのみんなを見る。みんなを見るからこそ二人の視点に寄り添える。よくいう、映画で感情移入できるレベルが深いのかなと、ラストにおもいました。アメリカの現代の女子高生なんて、日本の片隅のおっさんとかなり距離遠いのに、この共感はすごかった。ほんとにいい映画だったので、今後もオリビア監督の映画を追いかけねばです。

ちなみにトリプルAの女優さんが、演技の感じとか『her』のときのエイミー・アダムスっぽくて良いなーと思ったしだい。とくに、最後らへんでトラックを運転してるところとか。今後いろんな映画でエイミー・アダムスばりに活躍しそうだなーと思ってます。

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