なぜ、演劇が苦手なのだろう、まだわからないが、手がかりとなる映画をみた。

「対峙」(Massって原題のほうがいいな)という映画と「WORTH」という映画を立て続けにみた。どちらも、テロの後日の話で、前者は学校内の銃乱射、後者は9.11アメリカ同時多発テロの「被害者の遺族」を中心に据えた映画だ。

どちらもとても演劇的だと思ったし、そう言われている。
遺族たちの亡くした家族への「語り」が中心で、見ているこちらはそれを間近で聞く体験をしている。たしかに演劇的だ。

僕は演劇は苦手だ。とくに日本語で上演されている演劇は、若い頃に一度誘われたきり、行ってない。とても恥ずかしくてみていられなかったのだ。
なぜ、恥ずかしいのだろう?
たぶん、演劇では、自分で自分を、演者の感情にチューニングする必要がある。共感を自発的にしなければいけない。これが演者とともに自分の感情を晒すような気持ちになって恥ずかしいのかもしれない。

でも、映画にはクローズアップがある。
ここは演者にチューニングする部分だぜ、と、カメラがこちらに指示を与えてくれる。カメラの視線の影に隠れることができる。

あくまでカメラを通した視点、スクリーン越しの視点。だから真正面から、遺族の心の吐露を積極的に、自分を顧みずに受け止めることができるのだと思う。自発的という積極性を、カメラが肩代わりしてくれていると思うのだ。
スクリーンもカメラもない演劇では、生々しすぎて受け止められない。自分が恥ずかしくなり逃げてしまうんだと思う。

なので、この2つの映画では、演者たちの素晴らしい演技を真正面から受け止められた。テロについて、とても濃密に考えることができた。たぶん、演劇だと逃げてしまっていたと思う。

9.11 アメリカ同時多発テロも学校内の銃乱射事件も、私はもちろん当事者ではない。
でも、とても衝撃を受けている事件だし、今も受け続けていて、なぜこんな事が起こるんだろうかと考えたいと思っている。この映画たちのアプローチの角度から、すこしでも真正面からテロ事件を感じさせてもらった。いい映画だなと思いました。


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