自粛なので「パターソン」「田舎司祭の日記」など、内向きに淡々と過ごすことも悪くないかもなー、と思える映画たちを観ました。

アマゾンプライムで「パターソン」をみつけて、「そういや、すごい良かったけど出てくるモチーフが暗号的で、深い意味を見逃してるかも。。。」と、スクリーンで見たときは思ってたので、あらためて見直しました。

なんだか緊急事態宣言の延長で、自宅で「風呂・寝る・食う」のみのオフビートな生活をしてる時期に、この映画を見直したのもよかったみたい。暗号的なモチーフ探しをしようかと思ったけど、「こんな暮らし方ありだなぁ」という憧れに気づかせてくれて、スクリーンで見たときよりもグッと映画の魅力が増してました。まあ、この映画というよりもジャームッシュ映画が全体的に、ここのところの自分(コロナ自粛中)にとっての魅力が上がってる気がするんですが。ということで、パターソンをはじめ「こんなオフビートな生活もいいよな」と思える映画を紹介してみようかなと思って書いてます。


「世に出てない」アーティストは生活のあちこちに偏在する

パターソン、詳しいストーリーとかはwikipediaなどで見てもらうのがいいのですが、かんたんに言うとパターソン市に住むバスの運転手さんの一週間がダラダラとコメディタッチで展開されるというものです。

パターソン

この人(アダム・ドライバー)は朝6時過ぎに起きて、仕事に行って、家に帰って、犬の散歩。ビールを一杯飲んで寝るというルーティンで、このルーティンがジム・ジャームッシュらしいオフビートで描かれる。

この人、仕事前とか弁当食べてるときとかに詩を書いてます。個人的に詩心がないのでなんとも言えないのですが、マッチがどうしたこうしたみたいな詩です。いい詩なのかな?

どうなんだろう、別にどこかの雑誌や新聞に発表するというわけでもないので、この人は「詩人」という感じでもない。ほかにもこのパターソンという街では、詩を書いてたりラップをしてたりする人が出てくるんですが、みんなそれで食べてるというわけではなく肩肘張らずに詩とか絵画とかの表現をしている。日常の世界できれいな景色に感動したり、ちょっとした街角の風景にグッと来るような感覚で芸術活動をしてるイメージなんですよね。ちなみにラッパーはメソッド・マンだった。

パターソンさんの奥さんもそういう感じの自称アーティストで、家の中をヒョウ柄にしてみたり、白黒柄のマフィンを作ったりしてる。ただ、この人が他の自称アーティストと違うのは、「世に出る」ことを結構意識してる。

だから、パターソンさんにも「あなたの詩、絶対出版したほうがいいわよ!」と強くすすめるんですね。さらには、毎日ビールを飲んでるバーには、パターソン出身の有名人が掲示されたりしてて、映画のコアとしては「世に出る」ことと「世に出ず」活動することの微妙なラインをどう感じるかみたいなところだと思うんですよね。

有名にはなりたいけど、それを全面に出しちゃうと自分ではなくなるような不安。この映画は、その誰でも持っているような葛藤を提示してジワジワさせてくれるように感じました。

※結局、暗号探りはやらなかった。メソッド・マンの歌詞とか、調べるといろいろ面白そうな意味を持ってそうだけど。。。

主人公が痛い目に巻き込まれながらも淡々と生活するさまをダラダラ見ていく映画たち

この主題自体もふむふむと思うことも多かったんですが、いちばん「いいなぁ」と思ったのが、このダラダラしたテイストで、主人公がいろんなことに巻き込まれていく感じ。

誰かが言ってたと思うのですが、古典傑作のなかでも名作中の名作ロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」に似てるねーとのこと。似てるのはまさにこのダラダラとコメディタッチで主人公がいろんな事に巻き込まれていくところかなと思いました。それも淡々と、まあショウガナイよね、みたいな生活感満載のテイストで。

この「田舎司祭」の主人公は田舎町に赴任してきた神父さんが主人公なんですが、神父だからなのか事件などに巻き込まれても激怒もしないし、爆発したりもしない。この辺がパターソンと田舎司祭の共通項のようです。

「田舎司祭の日記」も好きな映画なんですが、パターソンに比べて主人公が巻き込まれる悲劇がひどい。「パターソン」の場合は、奥さんのパイがマズイんだけどマズイと言えないくらいのレベルだけど、「田舎司祭」の場合は可愛い女の子から面前で「キモォ!」ってからかわれる、街中から「あいつはアル中」って言われるとか割とハード。ハードなのに何の抑揚もなく映画は進んでいって、ダラダラとディープに2時間過ぎていきます。

もう一つは「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

こちらも主人公は淡々と暮らしている男性なのですが、あるきっかけから静かに暮らしていたのに強制的に、家族関係などそういうものに巻き込まれていく。ただ、かれが淡々と暮らしていたのには理由があって、この映画の最終的な落とし所は「許し」だったりもするのですが、その「許し」を拒否して静かに「外に出ず」暮らしていた日常がブラックコメディ的なタッチで崩壊していくさまがダラダラと映されています。

そういう意味でも、自粛中でオフビートな生活をしているなかで見るには最適な映画だと思うんです。結局最後は許されるし、こんな生活も悪くないなと。。。いや、実際にこんな過去はほしくないですけど。。。

そして、ルーカスヘッジス、初見の映画だったな。。

最後はよりコメディよりというかファンタジーよりなんですが、より内向感が強いと個人的には思っている名作ビッグ・ルボウスキ。淡々と巻き込まれていくけど、必死に自分の生活は守る系主人公の最高峰ですね。

まあ、これは見てない人少ないと思うのですが、アーティスト崩れで、活動家崩れの主人公デュードが、崩れたあとの内向的な生活を全部コメディタッチでぶち壊されていく(壊す人はいろいろいるのですが)物語。世に出ずに詩をつくり生活していこうとしているパターソンがいろいろな人にルーティンを壊されそうになり、自分でも「世に出ようかな」と思ったところでそれすらぶち壊されてしまうストーリーとよく似てると思うのです。それらがオフビートに展開されている面も。

ビッグリボウスキまで来てしまうと、アルトマンの「ロング・グッドバイ」、PTAの「インヒアレント・ヴァイス」も、「パターソン」と同じ系譜なのかなー、と思うのですが。。。

いずれにしても、一人の男が誰にも干渉されずに生きようとしているのに、コメディタッチにそれが崩壊していく。でも、それも生活だよね、と淡々とまた日常が始まる。こんなジャンルの映画はあると思ってまして、コロナで自粛しているいま、この「オフビートコメディ、たんたんとひどい目に合う人映画」はまた違う印象で楽しめるのではないかなと思った次第なのをかきなぐりました。

また書きます。



マンチェスターバイシー、ロング・グッドバイ、ビッグリボウスキなんかも、ついてないけど、オフビートに日々が過ぎていく映画をみると、、わりといいかも。


ちょっとした出来事も、この洋の終わりのような気がします。


リア充でないし、派手なパーティとかしないし、意識高くもない。

ちなみに、オンライン飲み会とか、みんなでおんなじポーズで写真を取るのとかが苦手でsy。



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