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"デヴィッド・ボウイ"がないと成立しない。そんな映画をみなおす。---汚れた血、ジョジョ・ラビット、ドッグヴィル、オデッセイ。

映画のなかの「キャラクタ」は架空の人物で、どこに行っても会えるもんではないはず。2時間終われば彼らは目の前からは消えてしまう。

でも、たまに「ああ、このキャラクタいるわ!実際にいるよ!」となる瞬間があるんです。それは"実際の世界に似ている人がいる"とかではなく、そのキャラクタを象徴する音楽が流れる瞬間。自分が実際に聴いてきたポップミュージックが、キャラクタの内面、置かれている状況を象徴するように使われたとき「ああ、同じ曲で自分も同じような気持ちになった。だらか、こういう奴はいるよ!」って気分になるんです。わかりにくい。

今公開中の「カセットテープダイアリーズ」がわかりやすいかも。

この映画も全編ブルース・スプリングスティーンの音楽が主人公の"道しるべ"として流れっぱなしなんだけど、やっぱりこの映画の主人公・ジャベド君は実在してる感がものすごい。音楽を通して「ああ、このキャラ、絶対いるよ。だって俺だもん」みたいな感覚を得るには、ぜひ、この映画を見てほしいなーと思います。

ちなみに、あまりにジャベドと、ジャベドの友達、家族が目の前にいるかんじになるので、2時間泣きっぱなしです。

都会を疾走するときに、人類は「モダン・ラブ」しか流さないのです。

ほかにも過去の映画の例を上げてみると、レオス・カラックスの『汚れた血』。

主人公であるドニ・ラヴァンが扮するアレックスが、パリの街を全速力で走る映画史に残る名シーンで流れるのがデヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」。


そう、私もモダン・ラブを聴いたときに体が動いた。そうなんだよ、アレックス、お前は実在するんだよ。だって自分も「モダン・ラブ」を疾走する感覚で聴いたことがあったもん。デヴィッド・ボウイの曲を"現実とのリンク"にして、アレックスよ、お前は実在する!って思うのです。うーん、説明しにくいな、この「実在」を感じる感覚。

ノア・バーンバックの『フランシス・ハ』でも、この汚れた血とまったく同じシーンがあるんですが、走ってるグレタ・ガーウィグは実際いるんです。だって、私もモダン・ラブを同じような爆発する気持ちで聴いてたもん。俺みたいなやつはいっぱいいる。

そういや、この2つのモダン・ラブ、右と左で逆に走ってるのか!

まあ、強引に進めると、そういう気分になるときに使われている曲の多くがデヴィッド・ボウイの曲だったりします。ほんとに、ボウイの曲は映画でたくさん使われてる。

壁を壊し、次に進むときみんな「Heroes」を踊るのだ

最近公開された映画でで印象的なのは、ジョジョ・ラビットですね。

映画のラストに主人公である子供のジョジョは、みずから先に進もうとする。そのとき女の子とHerosで踊る。

ジョジョ・ラビット自体はヒトラーの時代のベルリン寓話になっていますが、ヒトラー的な価値観、これまであった常識を壊して希望のある荒野に立つ、そういう意味では、ベルリンの壁を彼らが壊したときと状況は同じ。

ベルリンの壁の崩壊の裏にはボウイのこの曲が大きく影響しているとのこと。なので、壁、常識、価値観が崩れたときのテーマソングとして「Heros」は存在する。そして、私もHerosを聴き、荒野に立たされて希望に満ちた気持ちになる(ベルリンの壁とかそういう前情報なくても)。なので、私と同じようにジョジョも実在するのです。

ベルリンの壁とボウイの関係はここに詳しく書かれてます。


架空の街の実在性をグロテスクに演出するドッグヴィルの「Young Americans」

次はちょっと毛色が変わる。ラース・フォン・トリアーの「ドッグヴィル」。

この映画もジョジョ・ラビットと同じく、ラストというかエンドロールでボウイの「Young Americans」が使われている。しかも、後ろで流れているのはジェイコブ・ホルトの写真じゃないかな? 

この「ドッグヴィル」という映画、見た人はわかると思うんですが、ものすごく抽象的な映画になっていて、家や畑などは白線でかかれているだけ。そのうえで、まるで演劇のように俳優が演技をするというのが特徴なんです。実在感はまったくない。

そこに来て、このエンドロール。写真がものすごく生々しいアメリカの日常を写しているし、そこに「Young Americans」というボウイにしてはソウルで、健康的な音楽ながれる(歌詞自体は病んでるのでは。。。)。

映画自体も、内面に"狂った部分をもっている街"が主人公を襲ってくる、個人的には怪獣映画のようだなと思うほどの病んだ内容なんですが、そこにジェイコブ・ホルトの写真とボウイの名曲がながれるとことで、架空の街「ドッグヴィル」が、現実のアメリカとリンクする。

キャラクタでないですが、また、ボウイの曲が映画の中の存在に実在性を与えたるなー、と、見直して思った次第なのです。

テレビでマッド・デイモンの救出をほんとに見てる気分!!オデッセイの「starman」

キャラクタの実在性を名曲が演出するという流れで一番強烈なのはリドリー・スコットの「オデッセイ」じゃないかなと思うのです。

この映画、全編に70年代、80年代のディスコの名曲が流れていて(そういう意味では、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの兄弟映画だとおもう)、しかもそれぞれの曲が主人公(マット・デイモン)の内面を代弁してる。そういう意味では、SF映画というより、ミュージカル映画にちかいんではないかとおもったり(踊らないけどラ・ラ・ランドに近い気がする)。

たとえば、温度を確保するために核燃料?みたいなのを運んでいるときにかかるのがドナ・サマーの「ホットスタッフ」。"I wana HotStaf!"って、核燃料を運びながら歌ってるっていうのはギャグでしか無いんだけど、主人公のこのときの気持ちのビート感まで伝わってきて、彼の輪郭がディスコチューンがかかるたびにはっきりしていく。ほんとに全編、感情移入するんで、、あ、もしかしたら最初に紹介した「カセットテープダイアリーズ」にも、近い演出何じゃないかと思い始めた。。

なかでも最高なのがやっぱりデヴィッド・ボウイの「starman」。

"スターマンが空でまってるぜ。彼は僕らに会いたがってる"

という歌詞に合わせて、NASSAがマット・デイモンの救出作戦をねっていく。まさに歌詞のとおり。映画を見てる自分は実際にデイモンの救出を、祈りながら眺めてる気持ちになれます。


そういう意味でもまたしてもボウイの曲が、架空の映画と現実のわたしの間を強烈に橋渡ししてくれている。


結論:デビッド・ボウイの曲が使われている映画はだいたい名作。

ほかにもボウイの曲が使われている映画は山程あります。

例えば、最新作のテネットが待ち遠しいクリストファー・ノーランの「メメント」、ここには「something in the air」が。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーでももちろん「Moonage daydream」が流れている。

ウェス・アンダーソンやタランティーノの映画にもちょこちょこボウイの曲がかかっていた記憶があるし全部を上げると切りがないのですが、とにかく言えることは、ボウイの曲をつかっている映画は名作ということです。

ちょっとここで上げきれてない映画についても調べてみよう。




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