マーケットインの限界
どもども!
僕が東京で住んでいる家にはテレビが無いのですが、この前実家に帰った時に「さんまの東大方程式」っていう番組がやってました。面白くて夜更かしして見てしまいました。
東大生のステレオタイプと実際
「東大生」に対して一般に抱かれているイメージ通りの東大生たちが選抜されていたと感じました。
でも、東大を卒業した立場として、「実際、そんなことないよ」と叫びたかった。むしろ、「東大生」らしくない東大生の方が、実際には多いという実感があります。
ただ、マスメディアのビジネスモデルからして、世の中ウケしないといけないので、世間一般が「東大生」と聞いてイメージする、いわゆる「真面目でコミュニケーションに苦手意識のある東大生」が選抜されていたのを感じました。
すると、番組を見た視聴者は、「やっぱり東大生ってこうなんだ」と、もともと抱いていた東大生に対するステレオタイプが強化される。
すると、マスマディア側もさらに、そのステレオタイプに合致するような東大生を選抜するようになる。
これが無限に繰り返されることで、実際の東大生の姿と、マスメディアを通して発信される東大生の姿に、大きな乖離が生まれるようになっていきます。
マーケットインの限界
ビジネスにおいては、社会のニーズをまず理解して、ニーズに合ったプロダクトを提供していく「マーケットイン」のアプローチが主流ですが、これはちょっと危険じゃないか、と思いました。
なぜなら、社会が求めていることが「嘘」ならば、提供する側も「嘘」を与えないといけないから。そんな馬鹿らしいことはありません。
日本を代表するグラフィックデザイナーの原研哉さんは著書『デザインのデザイン』の中でこのように言っています。
センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品が作られ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品が作られ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。しかしこの逆は起こらない。(中略)ここに大局を見るてがかりがあると僕は思う。つまり問題は、いかに精密にマーケティングを行うかということではない。その企業が対象としている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない。
マーケットインのアプローチを使って、センスの悪い国で売れる商品を作ろうとすると、センスの悪い商品が作られるようになるということです。それらは、その国で一時的によく売れたとしても、グローバルに商品流通が行われているこのご時世、センスの良い商品が入ってきたら駆逐されてしまうということです。
お客さんのことを全く考えてはいけない、と言いたいわけではないけれど、もっと「俺はこれがクールだと思う!」という独善的、利己的な観点からプロダクトを発信していく社会になれば(これを「プロダクトアウト」と言います)、日本はもっとワクワクする国になる予感がしてます。
では、さいなら!
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