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神はいるのか - 哲学的考察

果たして神は実在するのか、死後の世界はあるのか。この問いは長年に渡って人類の間で語られてきた。しかし、その多くが各宗教における聖典の解釈論争や(対立宗教の)教義の矛盾を指摘するような一般人には理解が難しい、枝葉末節な議論に終始してきたのではないかと思う。そこで今回は、そうした神学論争からは少し距離を置いて、一般人でも理解できる哲学的見地から「神はいるのか」について考察したいと思う。

本投稿の補足と背景

本題に入る前にいくつか補足と背景を述べたい。冒頭にて、「神は実在するのか」、「死後の世界はあるのか」という2つの問いを設けたが、本投稿では前者の「神は実在するのか」についてのみ考察する。なぜなら、神が実在すれば死後の世界があると考えるのが一般的イメージであり、かつ死後の世界がないなら神も存在していないと考えるのが通常だからである。言い換えるなら、「神は実在するのか」=「死後の世界はあるのか」である。

また、哲学的考察という言葉からも分かるように、本投稿では科学的見地から神の実在について問うことはしない。無神論者が科学的なアプローチで死後の世界を否定する際によく行う議論として、「我々人間の意識は脳の神経細胞によって形成されているのだから、死亡した時点で意識は消失しており、自我を持つ魂が存在することはできない。魂がないなら死後の世界もなく、したがって神もいない」という主張がある。この主張はそれなりに説得力を持つのだが、脳機能には未解明な部分が多いし、我々一般人が理解するのはさらに難しい。また、(神がいるとするならば)「そもそも魂などは科学とは別の次元にあるはずだから、科学によって魂の存在を立証も否定もすることは不可能だ」という宗教家からの反論があるだろう。

本投稿の背景を語るにあたって自己紹介をすると、私は反出生主義者であり、かつ無神論者である。ところで、私の理解が正しければ、反出生主義者は(実際どうかは別にして)理論上はほぼ全員無神論者である。反出生主義とは、子どもを産むことは非道徳的であるとする哲学的立場だ。人間を創造したのが神であるという一般的イメージに従うなら、反出生主義の考えが神の意志に反しているのは明らかである。神の存在を認めつつ、神の教えに背く反出生主義を支持するということは(悪魔崇拝者のような場合を除いて)論理的には考えにくい。まとめると、本投稿の背景および目的は、反出生主義を擁護するために、神の不在を哲学的に考察することにある。余談だが、無宗教と無神論は明確に異なる。あくまで、無宗教は特定の宗教を信仰していないだけであり、神の存在(少なくとも一定の存在可能性)は認めている。

神がいないという状況証拠

以下では、神の不在の状況証拠を筆者が根拠の強いと考える順に考察する。大前提として、神がいるなら神は慈悲深く公正であるべきという信念に基づいている。また、本投稿は特定の宗教や宗派を標的としている訳ではないが、無宗教の日本人が抱く一般的な神のイメージならびに一神教の神を主に念頭に置いている。

1. ウイルスの存在
神が万物の創造主であるならウイルスも神が作ったということになる。しかし、善人も悪人をも無差別に殺害するウイルスを神が創造するというのはあまりにも無慈悲かつ非合理的だ。人類が堕落したからウイルスが神ないしは悪魔によって作られたという反論は成立しない。人類が誕生した700万年前よりはるか以前からウイルスは存在していた。(この議論には細菌や真菌も含まれる)

2. 隕石、地震、氷河期などの自然現象
神が万物の創造主であるなら様々な自然現象も神が設計したということになる。過去、地球では隕石や地震、氷河期などによって多くの生命が失われてきた。世界を再設計するために神が滅ぼしたというなら、自分で世界を創造しておいて身勝手極まりない。下界の人間ですら動物を大切にしようと法律まで作るのに、聖なる神が動物を苦しめるのは理解し難い。

3. 太陽の寿命
太陽の寿命は残り約50億年と言われているが、太陽は1億年に1%ずつ明るくなっているため、5億年ほど経つと地球は太陽の熱により海水が蒸発してしまい、生物が住めなくなると言われている。随分と先の話と思われるかもしれないが、それは人間の尺度であり、神がいるなら神は137億年も前に宇宙を作ったのだからそう遠い話ではないだろう。時間の長短を別にしても、いずれ地球の生物が絶滅することは確定しており、その際には相当な苦痛が伴うことが予想される。太陽系外惑星への移住が可能かについては遠い未来の話だとしても懐疑的な意見が多いが、仮に移住可能でも地球全体の生物の移住は不可能だ。慈悲深いはずの神がそのような悲惨な最期を人間を含めたすべての地球生物に宿命づけるだろうか。

4. 食物連鎖、生老病死
神に対する一般的イメージから考えるに、神は食事を摂らないし、空腹にもならなければ、飢えることもなく、また老いもなければ、病に倒れ苦しむことも、そして死ぬこともない。そうした経験をしないはずの神が、そうした不幸な経験を動物や人間が味わうようにわざわざ世界を設計することなど果たしてありえるのだろうか。また、肉食動物が生きるためには草食動物を捕食せざるをえないのだが、食べられることになる草食動物は生きながらに貪られるという極めて悲惨な経験をすることになる。こうした世界設計を神が行ったのであれば、失礼ながら大変悪趣味だと思う。

5. 動物の生殖
多くの宗教において不倫は罪とされており、言い換えるなら神が禁じていると言っても良い。しかしながら、同じ神が作ったはずの動物界をみると一般的にオスは可能な限り多くのメスと交配しようとしている。人間にだけは理性を具えられたから不倫を禁じているという反論はありえるが、果たしてそのような一貫性のない倫理設計を神が行うのだろうか。

まとめ

「神がいないという状況証拠」と書いたように、上記の話はすべて物的証拠ではなく状況証拠である。しかし、神に限ったことではないが、何かがどこにも存在しないという物的証拠を示すなんてことはほとんど不可能である。悪魔の証明と呼ばれるものだ。つまらない例え話をすると、空を飛べる象が実在するとは誰も思っていないが、存外、この事を証明するのは難しい。すべての象を調べるとしても地球上に何頭の象がいるのかは分からない。世界中すべての地点を同時観測したとしても、観測中は飛べないフリをしている個体もいるかもしれない。そもそも地球外にも象がいるかもしれない。何が言いたいのかというと、たとえ状況証拠に過ぎないとしても「神がいないという状況証拠」の内容に同意・共感するのであれば、仮の結論だとしても「神はいない」と考えるべきだということだ。

本投稿の目的は、反出生主義を擁護するために、神の不在を哲学的に考察することだと述べたが、神の不在は反出生主義の正当性を高めるための必要条件であって、十分条件ではない。たとえ神がいなかったとしても、人類文明の発展や子育ての喜びなどの理由から反出生主義に反対することは可能である。それに対する再反論も可能だが、本投稿の趣旨とは異なるのでここでは取り上げない。興味のある方は私の過去の投稿をご覧頂きたい。

本投稿のもう一つの目的は、神がいるのか/いないのかについて、読者の皆さんが真剣に考えるきっかけを提供したかったからだ。筆者の勝手なイメージだが、恐らく大半の、特に若い日本人は「神が何となくいる、または神は何となくいない」という漠然とした考えで生きている。この背景には、科学文明の発達によって神に頼る(=祈る)機会が減少していることや、特に日本においては宗教に関して議論することをタブー視する空気が影響していると思っている。無神論者の私としては、神の存在について漠然とした考えで生きても、本人が幸せな一生を過ごせるならそれでも構わないと思っている。しかし、中立的に考えるなら、神がいるのか/いないのかは人生にとって大きな問題であり、特に神が存在するにもかかわらず存在しないと誤った判断を下した場合のリスクを考えるなら、たとえ誤った判断を下すにしても真剣に考える価値はあると考える。

あとがき - 宗教について

ここまで神がいないという趣旨から、宗教に対しては否定的な論調だったが、3点擁護したい。

1つ目に、「神がいないという状況証拠」は文字通り神の存在を否定する状況証拠だが、神の存在を擁護する状況証拠もある。万有引力で有名なニュートンの逸話で、太陽系の模型の話がある。太陽系の模型があったとしてそれが勝手に自然に出来上がったとは誰も考えない。しかし、実際の太陽系は太陽系の模型以上に複雑に動いており、そこから類推すると太陽系がひとりでに出来たのは不自然であるという主張だ。

2つ目に、一部の例外を除けば、概ねどの宗教も道徳心の向上、治安の改善、社会の安定化などに貢献してきたと考える。他にも、信者の幸福度の向上や芸術文化への刺激といった良い側面もある。筆者は無神論者ではあるが、宗教はこのまま存続しても良いと考えている。

3つ目に、筆者は無神論者であり、かつどの宗教も信仰してはいないのだが、恐らく何らかの宗教を信仰し、その団体に所属した方が、平均的に人生の幸福度は高まると考える。信仰を通して、より善く生きるための知恵を獲得でき、人生に困難があった時に助けてくれる人が周りにいて、死への恐怖が和らぐだろうし、生きる意味を宗教は付与してくれる。ただ、残念なことに筆者自身は思想的に潔癖なので、神を信じていないのに神を信じるフリをして、どこかの宗教を信仰して自らの幸福を高めるというのは良心が受け付けないのである。

長文になってしまったが、最後までお読み頂きありがとうございました。テーマがテーマなだけにコメント欄が荒れないか少し心配だが、ご意見・ご感想・(節度を持った)反論お待ちしています。

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