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リングアナNaokiについて2

前回の続きになります。

馳さんの文部科学副大臣就任パーティーにて馳さんをリングコールし終わった私のもとにパーティーに参加されていた石井館長が!

石井館長「君のリングアナウンサーの権利、どこにあるんだ?」

前回とあるプロレス団体にてリングアナをした私は
特にその後続ける気も特になかったので

Naoki「権利も何もシャレでやってるようなもんなんで」
石井「うちでやらないか!?声も良い、何より良い目をしてる!」と

うち!?え!?K-1すか!?

そんなこんなでその数ヶ月後
2006年6月30日

K-1MAX横浜アリーナ大会の舞台に立たせて頂いたのであります。
それからMAXにてレギュラーとして
そして大晦日に京セラドームにて開催されるK-1dynamite
2007年にはK-1MAXから総合格闘技HERO'sに移籍し、HERO's消滅に伴い
2008年より再びK-1MAXに戻り
2011年旧体制K-1MAXの最後の最後までリングアナとして携わらせて頂きました。

続けるつもりも無く何故か始まった今も続く私のリングアナウンサー人生、この数年間の経験が本当にリングアナとしてはもちろん、プロフェッショナルとしての意識を育てて頂きました。

2006年初めてMAXでリングアナさせて頂く前日、リハーサルの為に会場に行き、舞台監督をはじめ、スタッフの方皆様にご挨拶させて頂いた時
まず言われたのが
「お前、石井館長にスカウトされたのかなんなのか知らないけど、俺たちはこのメンバーで創設からずっとやってきたんだ。お前の入る隙なんかないからな、よく頭にいれとけよ」
それからも喉を労わる為にマスクしてたら
「てめぇ生意気にマスクなんかしてんじゃねぇぞ」
なんて言われたり
まぁなんでしょう、19歳の私にはなかなかキツかったですね。
正直やりたくもなく、なかなかの憂鬱を感じてまして
それでもオファーは頂き、大会が近づくとまた憂鬱な…
そんな感じでした。

でもね
毎大会、毎大会
本当に念入りに作られた大会だったんです。
前日の進行リハーサルに加え、当日も朝一から夕方の本番までの入念なリハーサル。
地上波が入っていたのももちろんありますが
スタッフ全員の本気度、プロ意識をこれでもかと感じました。
その本気度があるからこそ尚更、突然現れたギャル男の様な19歳を警戒し、防御線を張ったんでしょうね。

何度も大会をこなし、気づけばそんなプロフェッショナルな方達の仲間に入れて頂けて、認めて頂けたんだなと思えました。

今私が掲げるMoveOnの「プロフェッショナル」は全てここで育まれました。

続く

あとがき
この時から10数年後、ゲストで呼んで頂いたRIZINにて
当時の舞台監督やスタッフさん達と久しぶりに同じ現場になった時
「俺たちの作ったK-1のリングアナを見せてくれ!!」
と言葉を頂き涙がこぼれそうになりました。

RIZINにて

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