モンブラン→マカロン 正しいことについて
マカロン〜ヤマハ、お疲れ様〜2年くらい前から作曲やレッスンのことをマカロンに色々聞いていたので、私も無事に卒業したんだな〜とマカロン家族のことなのになんだかしんみりしたよ。ちょっと息抜きでもしてゆっくりしてね。
今、シャルロットがPCで入力している私の背中をよじ登ってきて猿の親子みたいになってる〜若しくはコアラ。この子はロッククライミングができそうだわ〜でもよじ登られながら打ちづらいけれど頑張って書いてみる!
マカロンの前回の手紙を読んでヨシタケシンスケさんの言葉をどこかで聞いたことがあるなと思ったんだよね。誰かが同じことをいっていたのよ。あー、誰だっけ。いつか頑張って思い出してみるね。「人を憎むのは仕方ない。でも、相手を直接嫌うのではなく、その相手を動かしているものが何か理解することができたらどうなるのか。」う〜ん。深いね。(う、今シャルロットに後ろからTシャツを引っ張られて首が閉められている、、、。苦しい〜。)
私がいつも心の中でずっと継続して考えていることってそれなんだ。日本と韓国、または中国。男の人と女の人。性同一性障害の人とそうでない人。国民と移民。障害者と健常者。大阪と奈良。京都と滋賀。キリスト教の人とイスラム教の人。などなどあげたらキリがない。。。深刻に対立している人たちや軽い気持ちで見下したりバカにしたりする関係。具体的には、今まで、Twitterでフェミニストの人が叩かれてものすごい激しいやりとりをみたり、中国や韓国の人をよくわからない理由で叩いたりしているのをみるととても嫌な気持ちになってきた。もし憎む人たちがマカロンの言うようにその人の育った環境のことを少しでも想像できたら違うかもしれないのにと思う。
私がアパレル会社で働いてた時に超嫌いな人がいたの。ここではAさんと言うことにするわ。私より3歳か4歳くらい若い子だったんだけどモノの言い方がとにかく超強くってさ、不快にさせるのよ。当時、店舗でメルマガをやってたんだけど原稿をAさんが担当しててAさんの作ったマニュアル通りに作らないとめっちゃ怒られて受け付けてくれなかったの。確かに件名に「」を入れるとか細かいしぶっちゃけ間違いではないのでAさんが変えればいいのにね、って部分もあったんだけど、それを守らないとAさんが何店舗も同時に見ているので大変だったんだと思う。管理をする上で規定を守ってもらうことは当たり前だもんね。でもうちの店は人員不足でしかも50代のおばさんしかいなかったから誰もメルマガが作れなかったの!だから店長の私が他の仕事(接客はもちろん、販促計画とか色々)をやりながら作っていたわけ。それでも規定は守らないといけないのはわかってるんだけど時間もないのでいちいちチェックできなかった事情を察してほしい…と私もキレてしまい、一度揉めてからはうちの店からメルマガを出すことをやめてしまったよ。
だけど1年くらいしてAさんと話す機会があり、とっても楽しく話ができたのよ。嫌な子かと思ってたけど色々話してみたら案外いい子だったのよ〜それからは割と仲良く話せるようになって、前には絶対聞いてもらえなかった難しいお願いを聞いてもらえるようになった(闇?の在庫を回してもらったりなど裏取引みたいな他の店にバレたら嫉妬されるやつとか)。Aさんはとってもきっちりした人なんだけど腹を割って話せるようになると融通も聞かせてくれるようになったんだ。お互いが気持ち良いコミュニケーションをきちんと取ったことで「あいつ〜!ちょームカつく!」から「頼れる人」に一気に変わってしまった。
だからみんなが仲良くなんて言うのは難しいけれど、なるべく自分は寛容でいて、「この人にはこういう事情があるんだな」と少しでも想像できるといいなと思ってる。だからこの前のマカロンの手紙にとても共感したよ。
さて、私がスクーリングでやったのは政治思想論だったんだけどこれは古代ギリシアから20世紀までの政治学を概観していく講義だった〜。ソクラテスとかプラトン、帝政ローマ、共和政ローマ、中世、マキャヴェッリ、ルソー、モンテスキュー、カント、ヘーゲル、トクヴィル、ロック、ミル、ホッブズ、シュミットなどなど順番が違うかもだけどこんな感じでよく名前を聞く人たちがどんなことを言っていたのかがなんとなく分かった。私は高校の世界史でいつも寝ていたこともありローマ時代がよくわかってなかったの。なので、この夏、高校の世界史の参考書を買って少し勉強していたこともあり、それと並行してできたのでより学びが深まったよ。
↑この参考書、めちゃくちゃわかりやすいし楽しいから読書にもおすすめ〜。教科書より全然わかりやすく書かれてる。
その講義で分かったことは、とにかく理想的な政体とは何かと言うことについては古代からずっと考えられてきたのよ。最も良い政体とは独裁制なのか、民主制なのか、僭主制なのか。独裁制は優秀な人が治めてくれれば国はまとまるかもしれないけれどその人が名誉や財産などの欲に走ると一気に堕落するし、民主制は選挙で選ばれるわけだけど少数者の意見が無視されることになる、僭主制も独裁制と似たような部分があるよね。どの政体も一部は良くてもどこかに欠陥があるから完璧な政体というものはないというわけ。
それで私が思ったのは「正しさ」と言うのはほとんど相対的なんだと言うことだよ。例えば、学校で「ピアスをしてはいけない」という校則はその学校の中での正しさであって社会の中ではどうでもいいことだよね。第二次世界大戦中は戦争をして勝つことが正しかったのに、戦後は「戦争は誤り」となった。でも外国では今も戦争をしているところもあるよね。つまり、「正しさ」は時代や環境、政体によって変わってしまうものなんだよね。だから世の中に溢れている「正しさ」を信じていると、それが急に変わった時に心がついていかなる時があると思う。成績が良いこと、校則を守ることが学校では正しいことだったのに、卒業した途端、社会ではそんなことはどうでも良くなる。環境に決められた正しさに振り回されていると自己を見失うなと思う。自分の子供にはそうなってほしくないな。
じゃあ、どうしたらいいんだろう。やっぱり「自分で考える」ことしかないと思う。でも、「自分で考える」ことができるようになるにはどうしたらいいんだろうね〜私はやはり本を読むことな気がするよ。特に古典と言われるものほどいい気がする。私は古典的作品の読書をすることで、自分のできない経験を本の中で味わい歴史をなぞることで本当の正しさについて考えるようになったから。他にも良い方法はあると思うのでまた考えたいわ。
あ〜韓国ドラマと小説のことも書きたかったのに〜今日は行きつかなそう〜今度はそれについて書くね。
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